monologue
夜明けに向けて
 



 わたしは4年前2006年02月20日にこのブログに にわかカーリング・ファン という記事を書いたのだが4年後のオリンピックで奮戦する日本チームを見ているとふたたびカーリングのことを採り上げたくなった。このゲームを見ていると幼い日に遊んだ、石蹴り、ビー玉やメンコを思い出す。あの頃はまだそこいらに広場(広っぱ)があって子供達が戸外で自由に遊べた。カーリングは子供の遊びを大人が氷上で大げさな道具と格好でプレイしているように見えるのである。カーリングにとどまらずオリンピック競技とはみんなそうなのかもしれない。大人といっても年取っただけで結局、魂は子供のままだし知識をいくら蓄積してもやることはあまり変わらない。文明 は進んでも文化は形を変えるだけで進むことはないのかもしれない。オリンピックは参加することに意義があって勝ち負けは問題ではないのだとだれかのことばを反芻しながらもやっぱり日本チームの選手の活躍に思わず声援を送る自分がいる。人は遊ぶためにこの世に降りてきたのだろう。それゆえ遊びに全てをかける選手達は尊く映るのだ。
fumio

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