monologue
夜明けに向けて
 




テレビ番組「みんなの広場」でデビューしたリンドアンドリンダースによって「ファニーズ」と名付けられたバンド「サリーとプレイボーイズ」は上京後、作曲家すぎやまこういちによって「タイガース」と改名され、狂熱のGSブームの幕を開けた。テレビ番組「みんなの広場」にナポレオンというバンドが出てジェファーソンエアプレインの「Sombody to love」を演奏した時はその演奏のうまさに驚いた。ナポレオンは「ナンバ一番」では「ファニーズ」の後を継いでリンドアンドリンダースの弟バンドの役割を務めた。わたしは京都の河原町でパチンコをしていると朝、テレビでギブソンのギターを弾いていたナポレオンのギタリストが隣の席に座っているのに不思議な気がしたものだった。「ナンバ一番」で人気を博したオックスのキーボード赤松愛がローリングストーンズの「テルミー」の曲中で気絶する演出で失神バンドと話題になったりしてGSブームは社会現象となった。「ナンバ一番」の天井が低すぎて和田アキ子の頭がつかえたという噂もあった。
そして世界的には有名バンドのミュージシャンがスーパーグループを結成してニューロックと呼ばれる音楽がブームになった。やがて日本のグループサウンズ時代も終焉を迎えて1970年11月、ザ・タイガースが解散。71年にスーパーグループPYG(ピッグ)「沢田研二(さわだ けんじ、1948年6月25日-):ボーカル
萩原健一(はぎわら けんいち、1950年7月26日-):ボーカル
大野克夫(おおの かつお、1939年9月12日-):オルガン
井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月5日-):ギター
岸部修三(きしべ おさみ、1947年1月9日-):ベース
大口広司(おおぐち ひろし、1950年11月28日 - 2009年1月25日):ドラムス」が結成された。
のちに大口広司に代わってミッキー・カーチスのバンド「サムライ」やガロの「学生街の喫茶店」でドラムを叩いていた原田裕臣(はらだ ゆうじん)がドラムスを担当した。

わたしが初めてロサンジェルスで宮下富実夫の家を訪れた時、原田裕臣が居候していた。そしてある日日本に帰ると言い、中島茂男に自分の楽器を入れる頑丈なジュラルミン製のケースを記念に贈った。その後、中島はそのケースにギターに使用するエフェクターやコードなどを詰めて重宝していたものだった。
fumio

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