monologue
夜明けに向けて
 



1988年9月14日午後9時過ぎ、窓からJRを臨む渋谷の芝居稽古場でわたしは芝居の稽古で 胴上げからの落下の稽古中、一瞬の暗闇の中で額が床にぶつかってエビ反りに首の骨を折った。救急車で運ばれた北品川第三病院のICUで手術を受けてリハビリテーションのために11月に転院した 武蔵村山病院に同じ劇団に所属していたMIYUKIが見舞いに来てイベントや歌謡ショーなどの司会などの仕事で歌を歌う機会があるので自分にもオリジナルの歌を作ってほしい、と言い出した。
それでわたしは退院後、ヤマハのミュージックコンピューターにシンセサイザー音源やドラムマシンなど使用して歌作りを始めた。そしてできあがったのが軽々しく愛を口にしないで だった。その歌の見本とキーをMIYUKIに合わせたカラオケのカセットを作ってMIYUKIに送った。それでMIYUKIは次の週のイベントの仕事に初めてオリジナルの歌を歌ったのだ。ずいぶん受けたと喜んでいた。それがアルバム「水面に書いた物語」の始まりだった。MIYUKIがリードヴォーカルをとるシリーズとして何曲目かに作った「わかりあえる日まで」は「第15回わたぼうし音楽祭」で優勝して作詞賞作曲賞を受けたのだった。思い返してみるとMIYUKIのあの要請がなければアルバム「水面に書いた物語」はできなかった。
fumio

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