monologue
夜明けに向けて
 



加賀テツヤに触発されてGSの黎明期について思い出したがそのころ京都関西ロック・ソウル界実力ナンバーワンを誇っていたタッシュ・グループについて触れておく。
  「・高畑晃   バンド・リーダー。エレキ・ギター。
  ・荒木卓郎  パーカッション。ギター。
  ・河合循   オルガン。
  ・古城たかし ヴォーカル。
  ・小川修   ドラムス。
  ・葵和行   ベース。」

かれらは上の写真中央(右から三人目)のオルガンの河合循の口髭が特徴的だったので英語の「髭(マスタッシュ)」のタッシュをとってタッシュ・グループと名乗っていた。レパートリーはオーティス・レディングのソウル音楽中心で「トライ・ア・リトル・テンダーネス」を「スリードッグナイト」のアレンジで演奏していた。まだそのころ高価で普及していなかったテープエコーをマイクにつなぎヴォーカルのスリムな古城たかしが足踏みして踊りながら歌うのだがリーダーのギター高畑晃の合図でいっせいに決め(キメ)で盛り上げる。何度か繰り返し終わったかと思うとバックが再び決め(キメ)を演奏し、古城がはじけるように踊り息も絶え絶えに歌い上げる。オーティスやジェームス・ブラウンのステージをよく研究していたようだ。その圧倒的なステージにはだれもがスゴイものを見たと魅了された。わたしは古城たかしのリズム感とヴォーカルフィーリングに一目おいていた。古城は普段地味な青年で話をしていても控えめな態度だった。舞台に出て歌いだすと変貌するのである。
そのタッシュグループが古城たかしとブルー・タッシュと改称し、歌謡コーラス・グループとしてデビューしたと聞いて驚いた。日本でロックやソウルを英語で歌ってもデビューすることは無理なので路線を変更したのだろう。その後わたしは米国でロックやソウルを英語で歌うことを選択して渡米した。米国で一緒に仕事した中島茂男は日本では高価だったテープエコーを持っていたのでわたしたちのヴォーカルは立派なエコーがついて他のエンターティナーよりすごく聴こえたのだった。
fumio



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