monologue
夜明けに向けて
 



 先日、BSジャパンで浅田次郎原作の映画『オリヲン座からの招待状』 を放映していた。

 この作品に描かれた昭和30年代の京都はまさにわたしの幼少期そのものだった。この映画の舞台は西陣らしいがわたしは新撰組や勤王の志士で有名な島原に住んでいた。そこには島原劇場(八雲座)という小さな映画館があって近所のおばさんが入場券窓口に座っていたので金を払うことなく出入りしていた。そこで鞍馬天狗、丹下左膳、などの活躍に拍手したものであった。主人公の女性の老年期を演じる中原ひとみの旦那さんは、わたしの卒業した西本願寺の隣の小学校、淳風小学校の大先輩、俳優江原真二郎なので余計にかかわりが深く感じた。そんな京都の路地裏の映画館にはわたしにもちょっとした思い出がある。

 中学生になったわたしは父にお古の写真機をもらった。それであちこちを撮ろうと出かけて路地を出たところの小さな稲荷社のとなりの空き地の横にある島原劇場(八雲座)まで行った。そこの窓口には幼なじみHのきれいなお母さんが座っていた。写真を撮りたいからモデルになってくれ、というと空き地まで出てくれた。そこで生まれて初めて人物写真をいっぱい撮ったのである。

  それからしばらくしてどこかのおばさんがわたしの家にやって来て「Hさんのお母さんの写真貸して。」という。だれに写真を撮ったことを聞いたのか不思議だった。「Hさんのお母さん電車にはねられて死なはったんや。」葬式に使うらしい。わたしはそれをボーと聞いていた。電車にはねられるというのはなんだか「へん」だった。慌ただしい葬式が終わってやがて人々の噂が鈍いわたしの耳にもぼつぼつ入ってきた。Hの母は若い男と心中したというのだ。わたしがモデルを頼むほど若くて美しかったから映画好きの客とそんな関係になってしまったのだろうが思春期の入り口で不可思議な大人の世界を垣間見た事件だった。友達Hのお母さんというだけで名前も知らなかったがこの間写真を撮ったばかりの女性がもう亡くなってしまった。信じがたいようなわけのわからないようなあいまいな宙ぶらりんの記憶がわたしの脳の片隅にこびりついて残っている。
fumio

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 1984年、その年は記念すべき年であった。MTVが誕生したのだ。その年第1回MTVアウォードを受賞したのはThe CarsのYou might think であった。リック・オケイセック(Ric Ocasek )が蠅男に扮して大活躍していた。しかし、わたしのお気に入りはベースの ベンジャミン・オール(Benjamin Orr )が ボーカルを担当した Driveだった。このヴィデオの女性が精神的にこわれてゆく姿にうたれた。それでわたしはこの歌をレパートリーにして弾き語りでよく歌ったものである。

 しかしながらこの「ドライヴ」でリードボーカルを担当していたベンジャミン・オールが2000年10月3日にすい臓ガンで死去したという報に接したとき、あの時代を生きた音楽仲間がひと足先に逝ってしまったのかと本当に がっかりした。合掌。
fumio

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 「敗戦直後の世相を見るに言語道断、何も彼も悪いことは皆敗戦国が負ふのか? 何故堂々と世界環視の内に国家の正義を説き、国際情勢、民衆の要求、さては戦勝国の圧迫も、亦重大なる戦因なりし事を明らかにしようとしないのか? 要人にして徒に勇気を欠きて死を急ぎ、或いは建軍の本義を忘れて徒に責任の存在を弁明するに汲々として、武人の嗜みを棄て生に執着する等、真に暗然たらしめらるるものがある。」

              (岡田資 遺稿より)

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先日、2008年公開の小泉堯史監督作品、 明日への遺言をBSジャパンで放映していた。大岡昇平の「ながい旅」が原作らしいが、より多く殺戮した側があまり殺戮できなかった側を正義をふりかざし裁くという奇妙なことが罷り通った戦争裁判物の映画の中では出色の作品だった。

 太平洋戦争末期に、名古屋市街を無差別爆撃してパラシュートで降りてきた米軍機の搭乗員を処刑したことで、B級戦犯として横浜で戦争裁判にかけられた岡田資(たすく)中将の法廷闘争の姿を描いていた。全責任を負い部下を守りひとり絞首刑になって桜の如く散っていった主人公岡田資(たすく)を演じる藤田まことの抑えた演技が素晴らしかった。かれがわたしの中学の先輩ということが誇りに思える作品であった。
fumio



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 わたしが渡米したとき、一番記憶に残っている歌はSteve Miller Band のRock'N Me である。ロサンジェルスの学校に到着して同乗させてもらったアパート探しの車のラジオからこの曲が流れてきた。南カリフォルニアの陽光に白く輝く街全体がこの曲のリズムの中にあった。以後のわたしのアメリカという国の印象がこの歌に染められた。それはそんな力を持つ曲だった。ハリウッドヒルの米人家庭にホームステイした時、隣の家の高校女生徒がわたしにSteve Miller BandのFly Like An Eagle のアルバムを賛美して熱く語っていた。以来わたしも影響されてSteve Miller Bandの大ファンになった。あのボズ・スキャッグスが以前このバンドに参加していたのだと思うとすごかったんだと今さらながら感心する。
fumio

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NHKBS hiの「未来への提言」シリーズで100万分の1ミリという超微小世界で、原子や分子を操作する未来の技術ナノテクノロジーについて採り上げていた。UCLAのジェームズ・ジムゼウスキー教授 が研究中のIT・バイオ、ガンなどの治療について説いていた。かれは禅に興味があり精神をナノテクノロジーで考えようとしているのが面白かった。たしかに仏教の胎蔵界、金剛界の考え方はナノテクノロジーに深い関わりがありそうだ。ガンなどの治療にナノテクノロジーを応用すればかなり高い確率で発見できて細胞の遺伝子配列という根本的な面からも治療が可能になりそうだ。ナノテクノロジーは人類の未来の曙光のひとうであるように思った。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 」 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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1月229日(金)~2月5日(金)
ヒット数:1,351件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<3>水面に書いた物語
第2位(2)<1>ごめんなさい
第3位(3)<4>軽々しく愛を口にしないで
第4位(6)<9>ラスト・ランデヴー
第5位(7)<5>ときめきFALL IN LOVE

第6位(5)<2>あやかしのまち  
第7位(4)<6>女優(スター)
第8位(10)<10>はるかなるメロディ
第9位(8)<7>マイ・スィート・ライフ
第10位(9)<8>オーロラの町から
第11位(11)<12>素顔のマスカレード
第12位(12)<14>Stay with me
第13位(18)<16>わかりあえる日まで
第14位(15)<17>プロセス
第15位(13)<18>Sentimentallady”M”
第16位(16)<11>それってⅨじゃない
第17位(19)<19>しあわせになれる
第18位(21)<13>NEVER GIVE UP!
第19位(22)<20>まことのひかり
第20位(14)<15>恋すれば魔女
第21位(23)<->リアル・リアル・ラヴ
第22位(17)<21>もっと自由に
第23位(25)<->わが人生(いのち)の日々
第24位(-)<->青春
第25位(-)<->ふるさと

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 今週も水面に書いた物語 の首位は続いている。そして今日はわたしの誕生日であり宮下富実夫の命日でもある。今朝5時に赤飯を炊いて供えた。そのためか最後尾のほうにわたしたちが力を合わせた預言的アルバム 「プロセス」から わが人生(いのち)の日々 そして宮下がヴォーカルを担当した青春などが入ってきた。かれの呼び声が聴こえるようだ。ご愛聴感謝。
fumio

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  先日、NHKBSのアジア・フィルム・フェスティバルで、グエン・ギエム・ダン・トゥアン監督のベトナム映画<1735km (2005年・ベトナム ・1735KM JACKFRUIT THORN KISS)>を見た。


  ベトナムといえばわたしたちの世代にはどうしてもベトナム戦争の頃の棘(とげ)が抜けきらないでどこかに残っている気がしてしまう。米国生活中、車椅子でサンタモニカの海を見る多くのベトナム帰還傷痍軍人を見るのは辛かった。またわたしが弾き語りしていたクラブによく来た、米国国籍を取るために軍隊に入りベトナムに送られた日本人客は精神的に大きなショックを受けたようで人とのコミュニケーションがうまくとれなかった。

  しかるにそんなわたしの心の揺れをよそにこの映画は現代のベトナムを描いて実に爽やかだった。ベトナムは見事に復興していた。ハノイからホーチミン(旧サイゴン)までの距離1735kmの間に出会った、主演ズーン・イエン・ゴック(チャムアン)、ホー・カイン・チン(キエン)の弥次喜多恋愛道中ロード・ムービーだった。 結末をお伽噺「君の名は」風と自立現実路線とを描いてひとつに決めつけないのも現代的だった。ベトナムもこんな映画を作れるほどの近代国家に様変わりしたことを知って心の棘(とげ)が抜けきったようでうれしくなった。国家の盛衰は文化によってわかるのである。
fumio

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わたしの生涯で体験した最高のライヴはだれのコンサートだったのかと考えてみた。
日本でも色々見に行ったけれどそれほど心に残っていない。

 わたしが渡米後、アメリカで見た最も素晴らしいライヴはロサンジェルスのユニバーサル・アンフィシアターで妻と見たボズ・スキャッグスのコンサートだった。バックミュージシャンはあの「トト」のメンバーでアルバム「シルクディグリーズ」の曲を中心に演奏していた。みんな腕が良くタイトにも緩くも自由に聴衆を乗せていた。ボズのヴォーカルは抜群でレコードよりはるかにうまかった。野外なのに音が良くて驚いた。妻とふたりで大感激したものだった。残念ながらそれ以上のライヴは以降どこでも経験できなかった。

  そのなつかしのユニバーサル・アンフィシアターを検索してみるとなんとギブソン・アンフィシアター という名称になっていた。楽器メーカーのギブソンが命名権を獲得したようだ。ギブソン・アンフィシアター と呼ぶとなにかせっかくの思い出が褪せたように感ぜられる。これも時代の流れなのだろう。あの日、素晴らしいドラムを聴かせてくれたジェフ・ポーカロももう亡くなってしまったのは淋しい。合掌。
fumio


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先日、「BS日テレ」でバンカー(BUNKER)と呼ばれた核シェルターの検証ドキュメンタリーを放送していた。それは米ソ軍拡競争で互いの核攻撃が現実味を帯び米国の首都ワシントンが核兵器によって攻撃され壊滅した場合を想定してウエストヴァージニアの一見普通のホテルグリーンブライヤーホテル 内に秘密裏に建造した核シェルター内に政府機能を緊急移転した議会で国家の意志決定をして事態に対処するという計画であった。ホテルは普段客を受け入れて業務を続けているが裏では政府から派遣された役人が大銀行の金庫より堅牢な核シェルター内の備蓄食糧、自家発電、空気取り入れ機能などの保守点検をして管理していたのである。

 ところがそのグリーンブライヤーホテル 内の秘密の核シェルターのことを知ったワシントンポスト紙のTED GUP記者が「underground government」と題して特ダネ記事にしてしまったのだ。国民にも敵国にもその存在を明らかにされたことによって政府はグリーンブライヤーホテルは移転議会施設としてふさわしくないと判断してその核シェルターを閉鎖してしまったのである。それ以上のことをこの番組のリポートは語らなかったが想像はできる。現在、「核シェルター」について話題が出ないということはどこかに秘密の核シェルターが建設されて非常事態を待っているということである。そのことが明かされるのは実際に核攻撃を受けるかSF映画のように他の生命体からの攻撃を受けた時だろう。こういう緊急施設はいずれにしても消火器のように使用されずだれも知らないままに役割を終えてほしいものである。それにしてもどこに建造されたのだろうか。そうとう口の固い人々が選ばれて建造にかかわったらしい。わたしは核シェルターを扱ったの稽古中に首の骨を折ったので興味深かった。
fumio

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高校生時代洋楽に目覚めたわたしは洋楽ヒット曲の歌詞を聞き取りで書いて歌う稽古をよくしていた。ローリング・ストーンズのGet Off of My Cloudが全米一位になった時、クラスメイトがシングルを買ったので歌詞カードを見せてもらった。すると途中のコーラス部分を「Hey he get off of my cloud」と書いてあった。さすがに現在はそんなことはないだろうが当時はレコード会社がヒットソングを発売する時急いで聞き取って歌詞カードを作成してチェックせずに期日に間に合わせて発売したらしい。たしかに"HEY YOU"は ミックのように「Y」を強調すると「HE」と聞こえるのかもしれない。それでも相手に向かって「ヘイ、ヒー」と呼ぶことはあまりにもおかしいので高校生のわたしでもこの歌詞カードはひどいと思った。あなたにはミックが「ヘイ、ヒー」と歌っているように聞こえるだろうか。プロにもそう聞こえたのだから…。
fumio

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