「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

悲嘆の抑制 (1)

2016年01月14日 21時20分50秒 | 「BPDをもつ人と良い関係を築くコツ」
 
 感情をシャットダウンしようとするひとつの兆候は、 衝動的行動です。
 
 もうひとつの兆候は、 表情や身体言語の欠如です。
 
 これにはふたつの様相があります。
 
 感情の内的経験の回避と、 感情の外的合図の回避です。
 
○ 感情の内的経験の回避
 
 悲嘆を経験しているとき、
 
 全く感情を示さないか、 関係のない感情を示すかもしれません。
 
 これは  「見せかけのコンピテンス (有能さ)」 とは別のものです。
 
 見せかけのコンピテンスの場合、
 
 BPは感情を経験していても、 それを示さないか、 正確に示しません。
 
 これを 「感情のマスキング」 と呼びます。
(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/64953892.html )
 
 悲嘆の抑制では、 BPは 感情を全く経験していません。
 
 シャットダウンしていることに 気付いていることもあれば、
 
 認識していないこともあります。
 
 感情の内的経験の回避は、 通常意図的ではありません。
 
 時間をかけて学習されたものです。
 
 BPから突然表情が消えたら、 無意識で感情を抑制しているかもしれません。
 
 一方、 感情の内的経験を 意図的に回避することもあります。
 
 意図的と無意識の相違は、
 
 例えば親の葬儀で、 感情を表わさずに  「やるべきことをやっている」 人と、
 
 ショック状態なっている人や、 参列さえせず 酒を飲んでいる人の違いです。
 
(次の記事に続く)
 
〔「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」
 (星和書店) 〈シャーリ・Y・マニング著〉 より〕
 [星和書店の許可のうえ掲載]
 
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圧倒的な悲しみに 感情の回避が加わって

2016年01月13日 20時54分29秒 | 「BPDをもつ人と良い関係を築くコツ」
 
 感情からの唯一の出口は、 感情を経験することです。
 
 しかしBPは感情を恐れ、 感情の経験から逃れようとするのです。
 
 喪失への反応が 無感情という場合があるでしょう。
 
 極度の感情の覚醒 (泣くなど) と、
 
 極度の感情の回避 (全くの無表情) の間を 交互に揺れ動くのです。
 
 飲酒, 自傷, 逃亡などの 衝動的行動をして、
 
 感情から逃げようとするかもしれません。
 
 止むことのない危機のパターンです。
 
 あるいは 感情的にシャットダウンすることによって、 逃避するかもしれません。
 
 抑圧された感情は 出てくるときには 「爆発」 してしまうので、
 
 極端な感情の覚醒と 感情のシャットダウンの間で 循環が発生します。
 
 これらの感情は 次第に回避が難しくなり、 他の感情的な経験を悪化させ、
 
 その循環は膨らんでいきます。
 
○ ネガティブな感情が 決して終わらないという信念
 
 BPは 苦痛な感情は 永遠に続くと信じているので、
 
 感情を経験することに 抵抗するのかもしれません。
 
 悲しみの中で溺死するような、 感情の津波に巻き込まれる 経験をしています。
 
 悲嘆は際限がなく、 破壊的なものに見えるのです。
 
 BPの内側は 感情の塊であるかのようです。
 
 ネガティブな感情で溺れ死なないように、 感情を経験し始めることをしないのです。
 
 悲しみと嘆きが BPには制御不能に感じられます。
 
 感情恐怖症, 特に悲嘆恐怖症になる 可能性があります。
 
 弁証法的行動療法ではこのシャットダウンを、  「悲嘆の抑制」 と呼んでいます。
 
〔「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」
 (星和書店) 〈シャーリ・Y・マニング著〉 より〕
 [星和書店の許可のうえ掲載]
 
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感情の多弁

2016年01月12日 20時17分20秒 | 「BPDをもつ人と良い関係を築くコツ」
 
 BP (BPDの人) は 次々に危機を経験することと、
 
 全く感情を持たないことの間を 行ったり来たりしているようです。
 
 感情の多弁とも言える表現は、
 
 BPにとって 感情がどれほど圧倒的かを 表わしています。
 
 BPは 重大な喪失を経験してきています。
 
 喪失が起きていないときでも、 それを予期するようになることがあります。
 
 そのため 自分が批判, 疎外されていると感じると、 喪失感を抱きかねないのです。
 
 喪失が現実でも空想でも、 BPは とてもネガティブに反応します。
 
 喪失が蓄積するにつれて、 「人生は悲しみで満ちている」  となっていきます。
 
 蓄積された喪失は、 ふたつの異なる影響を 持つことがあります。
 
1. 喪失に敏感になる。
 
 ネガティブな感情的リアクションを 何度も経験すると、
 
 通常 それを誘発することに敏感になり、 喪失に強く反応します。
 
 BPは喪失から回復しないかもしれません。
 
2. 喪失の処理をやめる。
 
 あまりにも悲しみに圧倒されてしまい、
 
 喪失に対する 感情的リアクションがなくなってしまいます。
 
 感情の経験を回避するのではなく、 喪失を処理するのをやめてしまうのです。
 
〔「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」
 (星和書店) 〈シャーリ・Y・マニング著〉 より〕
 [星和書店の許可のうえ掲載]
 
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症状別支援

2016年01月11日 20時19分55秒 | 介護帳
 
 昨日書いた 障害児のデイサービスへ行ったとき、
 
 事前にスタッフに それぞれの子の障害が何なのか 聞いたところ、
 
 ある子について 「何だったかな」 と言い、 ファイルを見て教えてくれました。
 
 障害名を知らないのかなと 意外な思いだったのですが、
 
 ちょうどカウンセラー養成講座で、 心の病気についての講座がありました。
 
 講師は看護教員の方ですが、 精神科の患者さんへの対応 (支援) で、
 
  「症状別支援」 というのを話してくれました。
 
 例えば、 統合失調症の患者さんの 看護をするのではなく、
 
 幻覚や緘黙など (統合失調症) の 症状がある人の 看護をするというものでした。
 
 元の病気に関わらず、 出ている症状に適した 支援をするということです。
 
 つまり、 支援者にとって 対象者の病名は さほど重要ではなく、
 
 目に見える状態が問題なのですね。
 
 昔、 精神科のスタッフの 話を聞いたのを思い出しました。
 
 統合失調症の患者さんでも うつ病の患者さんでも 同じだと言っていました。
 
 スタッフにとっては、 病名はあまり関係ないということでしょう。
 
 昨日書いた 障害児のデイサービスのスタッフも、
 
 子供の障害名をよく知らなくても、 その子ごとの個性を把握して、
 
 それに対応した接し方を 見つけるということなのですね。
 
 僕などはどうしても 知識的なことが先行してしまうのですが、
 
 現場では 目の前の現実が全てです。
 
 そう言えば僕も 認知症の利用者さんに対しては、
 
 アルツハイマーか脳血管性かレビー小体型認知症か などは意識していません。
 
 その人がどういう人で どういう状態なのかで 接していますね。
 
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障害児デイサービスへお手伝いに (2)

2016年01月10日 18時28分43秒 | 介護帳
 
(前の記事からの続き)
 
 ダウン症の子とゲームをしましたが、 自分の好きなルールを 勝手に作るので、
 
 何だか分からなかったりします。
 
 お互いに相手を指差して  「ずるい!」 と言いながら 笑い合いました。
 
 今度は女の子が、 自分の作った家に誘ってくれました。
 
 言葉が少し不自由で 聞き取りにくかったりするのですが、
 
  「遅くなったから寝よう」 と言って 横になったら、
 
 すぐに 「朝だ」 と言って起きます。
 
 「鷹狩りに行こう」 と言うので  「鷹狩り?」 と聞き返すと、
 
 どうやら 「闘い」 のようです。
 
 ブロックで作ったライフルを 僕に持たせ、
 
 別のブロックを  「すいちぇん」 と言います。
 
 これは 「手裏剣」 でした。
 
 これらの 「ぷち」=「武器」 を持って、 他のスタッフの所へ行き、
 
 「バアーン!」 と撃ったり、  「やー!」 と切ったりするわけです。
 
 そのうち さっきのダウン症の子が また遊んでと、 僕の腕を引っ張っていきます。
 
 女の子も僕に遊んでほしくて、 もう一方の腕を引っ張ります。
 
 両方から引っ張られて 僕はどうしようかと困りながら、
 
 綱引き状態になって、 それを遊びにしていきました。  (^^;)
 
 ほどなく女の子は 急に別のことに注意を引かれ、
 
 そっちの方へ走って行って、 一人で遊び始めました。
 
 その後は、 女の子の家に ダウン症の子も入れてもらい、 3人で遊びました。
 
 そんなこんなを 一日繰り返していた次第です。
 
 子供というのは 本当に想像力豊かで、
 
 いろんなことを考えて 遊びまくるので感心します。
 
 時には 子供同士で喧嘩になりそうなところを抑えたり、
 
 危ないことをするのを止めたりもしました。
 
 精神的な疲労が強かったですね。
 
 子供も認知症の高齢者も 何もするか分からない恐さがありますが、
 
 高齢者と違って 子供はとにかく動きが早いので 気を遣います。
 
 でも一日 子供たちと遊んで、 疲れましたが楽しかったです。  (^^)
 
 帰りの送迎の車の中で、 女の子は 泥のように眠りこけていました。
 
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障害児デイサービスへお手伝いに (1)

2016年01月09日 21時32分03秒 | 介護帳
 
 僕が勤める デイサービスの会社では、
 
 高齢者の他に 障害児のデイサービスも経営しています。
 
 先日、 急にそこの施設へ お手伝いに行くことになりました。
 
 障害児のケアをするのは 初めてですし、
 
 子供の相手をすること自体 ほとんどなくて苦手です。
 
 (前に一度、 そこの車で子供の送迎だけ 手伝ったことがありました。)
 
 何も知らずに行って 大丈夫かと思いながらも、
 
 何故か どことなく楽しみな気持ちを 感じていました。
 
 朝行くと、 スタッフにはまず開口一番に、
 
  「メガネ飛ばされないように 気を付けてくださいね」 と言われました。
 
 何の前触れもなく引っかいたり、 蹴飛ばしたりもしてくる子が いると言うのです。
 
 一応、 用心することにしました。  (^^;)
 
 その日は学校が冬休みで、 デイサービスに来る子供は 4人だけでしたが、
 
 自閉症やダウン症などの 子供たち (小学生) でした。
 
 基本的に、 子供たちと一緒に 遊ぶのが仕事です。
 
 危険なことをしなければ、 やりたいままにやらせておくとのこと。
 
 子供たちを自宅まで 車で送迎に行き、
 
 先ほど メガネを飛ばすと言われた子が、 僕の隣に座りました。
 
 特に危険な感じはありませんでしたが、
 
 車を降りるとき 突然腕を噛まれ、 歯形が付くという 洗礼を受けました。 (^^;)
 
 子供たちが施設に着くと、
 
 早速遊び始める子と、 一人で自分の世界に入ってしまう 子がいます。

 遊ぶ子は、 僕に相手をしてほしくて、 あれこれ誘ってきます。
 
(次の記事に続く)
 
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年男

2016年01月06日 18時03分33秒 | Weblog
 
 今年は猿年で、 σ (^^;) 年男。
 
 とうとう還暦を迎えます。
 
 生まれ年の1956年以来の 丙申 (ひのえさる) で、 改革の年だそうです。
 
  「微力だけど、 無力じゃない」 という言葉を 自分に言い聞かせながら、
 
 そういう一年にしていけるよう 祈りたいと思います。
 
 
 
 上の猿の絵は、 26歳の時 同人誌に描いた
 
 「望猿」 というマンガの 表紙絵です。
 
 見果てぬ理想を夢想し、 堕落した 生まれ故郷の村を捨てて、
 
 真理を求める旅に発つ 猿の物語でした。
 
 様々な猿に出会い、 期待し、 失望し、 裏切られることを重ねていきます。
 
 やがて 愛する伴侶と結ばれ、 子供にも恵まれます。
 
 しかし 自らの夢を忘れることができず、
 
 そのために我が子を失い、 妻をも深く傷つけてしまうのです。
 
 そして再び妻子を捨て、 真理を追い求める 旅に出るのでした。
 
 生涯孤高な旅を続けますが、 遂に真理を得られず、 力尽きて息絶えていきます。
 
 彼の最期の言葉は、  「ぼくは…… 生きてきて良かった……」。
 
 自分自身、 そんな科白を口にすることができたらと 願っています。
 
 
 今年も 「境界に生きた心子」 を どうぞよろしくお願いいたします。
 
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