ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

その時、自分は……

2008-09-08 18:53:20 | 日常
 大きな事故や事件があった時に、その事故や事件をどこで見聞きしたかを覚えているという話が、時々ある。

 古くは、アメリカでジョン・F・ケネディが暗殺された時。自分は生まれてはいたけど事件を認識できるほどの知性がなかったから、覚えていない。

 自分に関していえば、記憶しているのは70年安保の頃だろうか。安田講堂についてはあまり記憶がないが、浅間山荘事件、よど号ハイジャック事件は小学校の授業を中断してテレビ中継を見たというぐらいの大事件だった。

 日航機ジャンボ墜落の時は、旅行会社がお盆休みで、住んでいた高田馬場のアパートでテレビを見ていた時に事故を知った。

 地下鉄サリン事件の時は、関西に住んでいたのだが、たまたま連休にかかった出張の前後で東京の実家で朝ご飯を食べていた。事件の起きた路線に出かける予定はなかったが、都内の地下鉄はほとんど乗ったことがあっただけに、ありふれたいつもの経路でいつにない事件に遭遇した人々のことを考えて、恐怖した。

 阪神淡路大震災の時は、部下持ちのマネジャーに昇進した直後で、連休明けで出勤を控えていた未明だった。実質的に3ヶ月は本業に手をつけられず、対策本部に詰めていたっけ。自分のところは被害極小だったけど、水道とガスが復旧するまで2~3週間かかった。しかし何より、神戸方面の甚大な被害と人命のことを考えると心が重かった。

 9.11の時はちょうどNHKのニュース9を見ていた。かつてニューヨークに住んでいた時にワールド・トレード・センター近くでテロリストによる爆破事件があって、その近くに同級生が住んでいたために安否を気遣うことがあった。そのこともあって、たぶん、テレビを見ていた日本人の中でも、WTCに何かが激突する場面をかなり実感をもって見ていたと思う……ただ、いまだに、自分は米国政府発表の通りの事故・事件だったのかを信じられないでいる。

 そして、尼崎の脱線事故。自分は、その日には新大阪のオフィスに出勤していた。JRで出勤する社員がなかなか揃わないことに異常を感じ、ネットで事件を知った。JR福知山線の塚口駅と尼崎駅の間で事故があったと知ったのは、その日の午後に入っていただろうか……事故現場は、自宅から2キロほどのところだった。
 JR福知山線は通勤経路ではなかったが、たまたま利用した時にその区間のカーブがあまりにもきつくて、立っていられなくなって吊革をつかんだぐらいだった。霊感はないけど、なるべくならば通りたくない地点だと思った。その経験から、たぶん1年も経っていなかった。
 そして、事故から1週間ほどを置いた週末、顔見知りという程度ではあったけど元社員が事故で亡くなったと知って、事故現場に献花しに行った。

 天災、人災、いろいろな事故や事件が日々、世界中で起こっている。すべてに自分の心をすり合わせていたら心身が持たないから、自分も他の多くの人々も「ひとごと」と認識することで、自分の心身へのダメージを少なくしようとする。ただ、時には「ひとごと」なのかと自問自答することで都会に生きることのリスクを自己認識しようとしている……うっかり窓を開けたまま寝てしまうのは止めようね^_^;。