隣の奴とウマが合わなくてもどうにかやっていくことを学ぶというのも学校教育の重要な部分だと思うのですが、最近の中学校・高校では頻繁に席替えをしているようです。
それが証拠に学校の教師の間で席替えソフトというのが流行っていると聞いて検索してみるとといっぱい出てきます。
www.vector.co.jp/vpack/filearea/win/.../sekigae/
「sekigae」がひとつのカテゴリになっているところが流行を物語っていますね。
先日の横浜の女子高生による同級生刺傷事件でもこんな記事がありました。
同級の女子高生殺人未遂、入学直後に 不満か、担任に再度の席替え求める/横浜
横浜市港北区篠原台町の私立清心女子高校で、授業中に1年の女子生徒(15)が同級生を刺した事件で、殺人未遂の疑いで逮捕された加害生徒が「5月末に席替えがあったのに(被害生徒と)また隣同士になり、憎くなってしまった」と供述、さらに席替えするよう担任教諭に求めていたことが17日、港北署の調べで分かった。
5月末に席替えがあったということは、2ヶ月に1回席替えをしているということなんでしょうか。
隣同士で人間関係がうまくいかないとすぐ席替えという風潮のようですね。
でも、世の中に出れば、就職すれば上司や同僚や部下は選べないし、自営になっても客のえり好みばかりはできないし、家に住んでも隣人は選べないし、結局いろんなところでうまく人付き合いをする必要が出てくるわけです。
社会に出ると知識や学習能力と同等かそれ以上に対人スキルやコミュニケーション能力が問われます。
特に大事だと思うのは、「普通の人と普通に付き合う」こと。
どうも最近、人間関係のすべてを「好き・嫌い」「いい人・いやな人」「話しやすい人・苦手な人」「敵・味方」で評価する人が増えているように思います。
実生活で他人とコミュニケーションをとる局面の多くは、仕事の連絡とか、店員と客、マンションの管理組合の会合など、一定の役割を前提にした限定された関係です。
そこに上の二元論を持ち込んで「この人は苦手だけどうまくコミュニケーションをとろう」とか「この人に好かれよう」などと全人格的にすべての人とうまくやろうとすると、疲れるし、無駄に傷ついたり腹を立てたりすることになります。
最近、僕から見ると人間関係について過剰に思い込むことで、傷ついたり腹を立てたりする人が増えているように思います。
クレーマーなどは好例で、製品やサービスが不足しているので通常の機能・サービスを回復(または補償をうける)ことが目的なのに、「最高レベル(それも自己基準)」を要求したり対応の内容でなく言葉遣いなどに文句をつけるようなタイプですね。
デジカメの不具合やファミレスの接客がまずいからって全人格をかけてクレームを言っても、人生の無駄遣いですよね。直ればいいんだから。
これは「誰とでも円滑な人間関係を築こう」とかいう自己啓発本の悪影響かもしれません。
いやな奴はどこにでもいるし、そういう奴とは好き好んで親密になる必要はないけど、日常生活上必要な範囲でコミュニケーションを取る必要はあるわけで、そのようなときに互いに失礼のない程度の立ち居振る舞いといういう「普通の関係」が社会を成り立たせているんだと思うんですけど。
今の中学校・高校は「クラスはみんな仲良く」というドグマのもとに、席替えを繰り返して結果的に「苦手な人ともうまくやる」能力をつけるチャンスを奪ってしまっているのではないでしょうか。