ミネソタ州セントポールのフィッツジェラルド劇場で長年親しまれてきた公開生放送のラジオショウ「プレイリー・ホーム・コンパニオン」も放送局の身売りに伴い最終回を迎えることになる、その舞台裏をめぐる人間模様を描いた映画です。
※以下、ネタバレはありませんが、途中から映画のレビューでなくなってます(汗)
Wikipediaによればこの「プレイリー・ホーム・コンパニオン」というラジオショウは、1974年以来現在も放送中の実在する番組(それもフィッツジェラルド劇場を本拠にしている)だそうで、司会はこの作品の原案・脚本を担当し司会役も演じているギャリソン・キーラーが務めているそうです。
実は日本でもAFN(昔のFENですね)東京局のAMラジオ放送 (810kHz) で日曜午後4時から聴くことができるとのこと。
コメディタッチの人物造形とともに、ラジオショウの楽しさ、そして消えゆくものを慈しむトーンをたたえる脚本を、芸達者(多少曲者風)の俳優たちが好演で盛り上げています。
ギャリソン・キーラーはさすがに本職だけあって司会も歌も見事です。
そして、実際のラジオでは放送できないようなきわどいネタをここぞとばかりに繰り出しています。
さらにメリル・ストリープとリリー・トムリン(
こちらに次いで二度目の登場)の姉妹は演技だけでなく歌も見事、狂言回し役の保安係のケヴィン・クラインも歌を聞かせます。
また、新しいオーナー役のトミー・リー・ジョーンズは劇中で「学生の頃バンドをやって才能がないことに気がついた」というセリフがあるのですが、これは本音なのか、実は本人も歌う役をやりたかったのか興味があります。
(キャストにRobin Williamsとあったのであれ、と思ったのですが、"Robin and Linda Williams"(
参照)というカントリーのデュオがいるんですね。)
実際のラジオショウを知っていたらもっと楽しめたかもしれませんが、十分面白い作品でおすすめです。
ところで劇中、カウボーイのデュエットが「ろくでなし男の歌」というのを歌っています。
そのろくでなしは言うことがすべてウソ(「ほらふき」のほうが正確ですね)で荒唐無稽なホラをふきます。
そしてサビの最後がこんな歌詞です
♪
でもたった一つの真実は
そいつのウソは全部自分のついたウソ
考えてみれば自分のオリジナルのウソをつくというのはかなりの努力が必要です。
たいがいのウソは世の中にあるフレーズを借りてきて自分を飾ることに使われます。
(
『問題は、躁なんです』でも、躁の特徴のひとつとして世俗的で見栄っ張りなウソをつく、というのがありました。)
あまりにオリジナルなウソは現実味がなく誰もが信じないからかもしれません。
逆に考えてみれば、私たちは普段の仕事で、聞く人がなんとなくわかったような気持ちにさせる説明、プレゼンテーション、キーワード、概念整理を日々作っています。
「多くの人が信じやすい方便」は「厳密な真実」よりも世の中に受け入れられやすいからかもしれません。
また、企業活動の意思決定においては100%正しい選択などというものはありませんし、もしあったとしてもそんなものがわかるはずがありません。
でも「わからない」と判断放棄をするわけにもいかないので、その手前のところで判断基準を作ったり新たな概念整理をしたりするわけです。
「企業価値」などはその最たるものですね。
つまり私たちは日々そうやって、ウソを生産しているともいえます。
明らかなウソや無責任なウソは「偽装表示」とか「詐欺」として非難されますが、真偽が明らかにならずに皆が信じたがるウソは「夢」とか「ビジョン」とか「わかりやすい説明」などと言われたりします。
まあ、呑気にそんなことを言っていられるGWも終わってしまいました。
さあ、今日からまたウソツキの世界に戻ることとしましょうか。
(まあ、それも嫌いではなかったりするけど・・・)