もう終活を始めたかねと皆に笑われますが モノに埋もれた自堕落な身の回りを
少しでも風通しのよい空間にと 慣れん努力をしております。
根を詰めるとすぐいやになり 放り出すわが根性を呪いつつ 仕分けの作業は
一日1時間と決め それもノロノロですので 先が長いです。
母のタンスから ショウノウの空き袋とともに 和紙に包んだ私のワンピースが
出てきました。
これははっきり覚えています。ふっくら軽い絹の水玉ワンピースは 45-6年前の
半世紀近く昔 初めてお見合いしたとき これを着ました。
当時の私は21-2歳だったと思います。まだ結婚などしたくもなく お見合いなど
するもんかでしたが 〇さんが持ってきてくれた縁談だから 形だけでもお見合い
してちょうだい 洋服を作ってあげるから の母の言葉に 即OKを出した私です。
当時は今ほど既製服がなく 確か大丸でお誂えの オートクチュールになります。
お見合い相手は 昔から知るお兄さんであり 相手もまだ結婚するつもりはなくて
うちと同じく 〇さんの依頼を親が断れなかったと聞き 同じやねと二人で大笑い。
仲人役の〇さんには どうお断りしたのか お見合いの数日後 母に聞きました。
先方の敷居が高すぎて うちとは釣り合いが取れません せっかくのお話でしたに
すまんことです と当時43-4歳の母は断り 男性側も多分 似たようなことを言い
断ったと思います。
でこのワンピースが残ったわけで その後私が着なかったので 高かったしと母は
大切に仕舞いました。ひょっとしてこれを 妹に着せるつもりだったかもしれん。。
トルソーに着せようにも 裂けそうでやめました。ウエストが ひぇ~~こんなに
細かったかね とてもあの時と 同一人物とは思えん今の私です。このウエストは
今じゃ ふくらはぎしか入らん そんな気がします。
というわけで昔は確かに細かった そんな時代もありました。これは捨てず持って
おろうなど言っていると ミニマリストには 絶対なれません。
母はこの服を見るたび 先方へ苦しいお断りをした日が よみがえったことでしょう。
ならこれは 母ちゃんの形見になるかもしれん。今後はこれを見るたび 親不孝した
自分への戒めになるでしょう 持っておろうと思います。