くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

よさこい旅7月♪兵庫県。

2016-07-11 | 旅行

久しぶりに行く 日帰りバスツアーで 兵庫県に着きました

黒田官兵衛の筆頭家老 栗山善助屋敷跡が灘菊酒造になり 
ここ姫路市で 昭和30年代まで 清酒灘菊を醸造していました
 

古い酒蔵群を公開しており 趣のある酒蔵で秀吉が愛した 大返し飯の昼食は
麦とろ ざる豆腐などが並び ひんやり 灘菊の食前酒が付きます

なつかしい雰囲気の売店で 各種試飲しすぎて いかん 次があるのに目が回る

次に到着は 天空の城竹田城に近い生野銀山です 信長 秀吉 徳川の時代も
ずうっと採掘しており 1200年の歴史があります

外気温32℃でも 坑道へ入ると 13℃の天然クーラーで さっと汗が引きました

江戸時代の採掘の様子が 人形で再現されていました

江戸時代の測量の様子 この時代に 正確な測量がされました

1㌔ほどの坑道の途中に 水音と共に滝が現れました 天然の滝ではなく
鉱石を掘った穴に 水が流れ滝となったそうで 触るととても冷たい

地底まで人を送った人車 昭和48年の閉山から もう40年以上が経ちました 

史跡として残された生野銀山では こつこつと掘られた 人一人がやっと通る
穴をこれは何百年前の ノミ跡だろうと見ました。

生野銀山は ここで働いたかつての社員が 案内のボランティアをしており
山を愛し 誇りを持ち仕事に向かった姿が 言葉の端々に伺えます。

昨年 別子銅山跡へ行きましたが そのときも 語り部に同じく感じました
国内も海外でも 暗いニュースばかりの今 清々しい気持ちになりました。

おみやげに生野銀山売店で 黒豆茶と くるみゆべしを買いました。

 

 

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合区。

2016-07-09 | 日記

7月10日の参議院議員選挙は 高知県は隣の徳島県と合区で
立候補者は 徳島からは3名 高知からはゼロという寂しさです。

合区のポスターは ゆるキャラ 龍馬くんと すだちくんです。

一票の格差をなくす初の試みとして 徳島と高知県 島根と鳥取県が
合区という 一つの選挙区になりました。

徳島県から立候補した3名は 徳島はもちろん はるばる高知まで遊説
せねばならず たまに演説が聞こえても 遊説カーとは思えぬスピードで
通り過ぎます。

公示されたとき 合区について 土佐の日曜市で売る人買う人にマイクを
向け インタビューする様子が TVに映りました。

多くの意見として 徳島と高知の広い地区を たった一人の議員で面倒
見るのはむずかしかろね まず自分の県から片づけるだろうし そしたら
高知は捨てられるのでは という心配の声がありました。

街頭演説を聞いてから投票したいのに その機会もなく 期日前投票に
行ってきました。

今回は 初の試みとしての合区 それと 18歳の高校生から選挙権が
出来たわけで こちらも投票率が気になります。

これからの日本を担う若者の 高い投票率で 選挙が終わりますように。

 

 

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あちちち・・

2016-07-07 | シーラカンス定例会

月一のシーラカンス例会が 先日ありました。

60代後半のAさんは 本人の申告では 20代の頃は日活のスター
赤木圭一郎そっくりだったそうで ま わずかにその面影はあります。

 

そのAさんが最近 上の歯を全部入れ歯にしたそうで 何となく以前と
口元が変わり 赤木圭一郎とは 面影が遠ざかりました。

歯状が悪く 上の歯は部分入れ歯でしたが さらに悪くなってついに
上は本人が言うところの かっぷり になりました。

かっぷりとは昔から 総入れ歯のことをいう 土佐の方言になりますが
発音が ぷり のところが 山になるアクセントで発音します。

かっぷりになったAさんは いつものように朝 味噌汁をぐっと一気に
飲んだところ 次の瞬間  あちちち・・ とのどを焼け通ったそうです。

それってどうゆこと? ですが Aさんの解説によると

熱いものは口へ入れた瞬間   当然熱いので ふーふー冷まし飲むが
上がかっぷりになると 熱さが分からんため 結果のどを焼け通っていく
いかんオレ 喉頭がんになる はよう何とかせにゃならん。

 

考えても妙案が浮かばず とりあえず熱そうなものが出たら まずは指を
突っ込み熱さを見る いや 計るが正しいのか? とにかく指温度計です。

そら 紳士のすることじゃない 温度計で計りなさいよ それがいやなら
熱いものは食べられん! 総攻撃にあい Aさんはハチの巣です。

以後シーラカンスの赤木圭一郎は かっぷりに慣れるまでは 常に温度計や
体温計を持ち歩き 熱そうな食べ物の温度を計って 口へ運ぶことになります。

 

 

 

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思い出したこと。

2016-07-05 | 日記

バングラデシュの人質事件で 日本人が7人も犠牲になり
最初ニュースが流れた時から 無事でいてと  日本中が
祈りましたが 最悪の結果となりました。

途上国の発展のため テロの危険を十分知りつつ  JICAの
一員となって 活動を続けた尊い命が 一瞬で奪われました。

犠牲者の名前が発表され その中の一人が80歳と知ったとき
私たち夫婦の頭に Tさんの顔が浮かびました。

Tさんは今現在80歳 20年前定年退職したのち JICAの要請を
受け インドネシアに 2年間派遣されました。

現地で 機械設計を指導する仕事で もう子どもは巣立っており
妻を日本に残し 単身 インドネシアに渡りました。

Tさんから 聞いた話になります。

60歳で渡ったインドネシアで 運転手を雇うことになりました。

JICAの先輩の忠告は 雇った運転手が もし 金を貸してくれと
頼んできたら 即刻 クビにすること。

若く 気の利く運転手が見つかり 現地にも慣れ 順調に仕事も
進みだした 数ヵ月経過したある日 運転手がTさんに言いました。

家族が病気のため どうしても金が要る 貸してください

聞けば結構な額で 先輩の忠告が頭をよぎったものの わが息子と
変わらぬ歳の若者が困っている すぐに出せる額ではないが 少し
待ってくれ きっとなんとかするからと Tさんは約束しました。

そしてその日仕事が終わり 宿舎に戻りドアを開けた途端 唖然と
したそうで 電化製品 家財道具全てが 運転手と共に消えました。

いつの間にか運転手は Tさんの部屋の合い鍵を作っており 命まで
取られず良かったと 話を聞いた私たちは思いました。

そんなことがありながらも Tさんは立派に任務を終え 2年後には
帰国しました。

イスラム教徒が 純粋にアラーを信じ ISなどまだ存在しなかった
20年前の話です。

Tさんとは 今は年賀状のやり取りだけとなり 何年も会いませんが
今度のニュースを どんな気持ちで聞いたことでしょう。

telすると言う夫に Tさんの気持ちがもっと落ち着く 1週間後くらいに
したら?  と止めました。



 

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紫蘇ジュース。

2016-07-03 | 食物関係

自宅の畑で採れたからと 今年も友が 紫蘇をどっさりくれました。

やれ嬉しや 南国土佐の猛暑を乗り切るには これが要ります紫蘇ジュース
さっそく葉をむしりましょう。

昨年も今年も あなたが先生です。  ⇒  

紫蘇ジュースと梅ジュースを 500㍉のペットボトルに入れて凍らせ ゴルフの
お供にする夫の弁は 背中に潮吹きながらも これがあるから倒れず回れる。

ゴルフをしない妻から見れば お金をもらえるなら 少々暑くとも我慢できるが
なにが悲しゅうて お金を払ってまで 灼熱地獄へ行くのかね? わからん。。

おっといかん 言うまい言うまい お互いの趣味には 口を出さない紳士協定
好きになさいませよ 2つのジュースは次回から 共にお四国巡礼いたします。 

  

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