しげるの自遊学

自由に遊び、自由に学んで生涯現役。
ソプラノの森岡紘子さんを一人のファン
として応援しています。

ビルマの竪琴(続き)

2005-06-12 11:04:35 | Weblog
今回、何故「ビルマの竪琴」という本を読もうと思い立ったのか、自分でもよく分かりません。しかし、読んでよかった。あとがきを見たら、昭和22年から3年かけて「赤とんぼ」(実業之日本社発行)という子供の雑誌に連載されました、とありました。

これはもともと子供のための童話だったのですか?この本が書かれた昭和21年は、戦争が終わって、兵隊さんたちが大陸や南方から「みな疲れて、やせて、元気もなく、復員してかえってきた」時代だったのですね。私は比較的戦争の直接の被害が少なかった田舎へいたので、あまり強烈な思い出はなかったのですが、この本でいろいろ当時のことを思い返しています。武器も食料もなく敗走する日本軍、そして途中で倒れ、ついぞ故国の地を踏むことの出来なかった兵隊さんたち・・・
戦争とは一体何なのでしょう?


ビルマの竪琴

2005-06-11 09:08:22 | Weblog
旧日本兵生存か?というニュースがマスコミを賑わしたのはつい2~3週間くらい前のことでしたが、いまではすっかり沈静化しました。マスコミのニュースに対する取り組み方は、満ち潮の引くが如しで、興味が薄れたニュースには見向きもしないのですね。

あのニュースが報じられた頃、何故か急に「ビルマの竪琴」という本が読みたくなりました。家にもあったはずと思い探しましたが、見当たりません。近所の本屋へ行って探したのですが、駄目でした。こんな時はインターネットで本を注文するのにかぎります。いつも使っているインターネットの本屋に注文し、すぐに求めることが出来ました。

以前のように一冊の本を一気呵成に読み終えるということが、近頃出来なくなりました。今、ようやく半分くらいまで読み進みました。あわてず、さがわず、一語一語をかみしめながら、ゆっくり読むことにしています。もっとも年を取って、根気が続かないので、ゆっくりでないと読めないということもありますが・・・

戦後60年にもなると、世代も交代し、戦争のことを知っている人間も次第に少なくなります。「十年一昔」(じゅうねん ひとむかし)=世の中の移り変わりが激しいので、十年たてばまるで以前のお面影が失われ、昔と今ほどのちがいになるとか。最近は、十年どころか、「一年一昔」一年もたてば、昨日の畑にはマンションがそびえたったり、道路が出来たりと、ほんとうにめまぐるしい世の中です。

「ビルマの竪琴」を読みながら、つい物思いにふける今日この頃です。

レディスゴルフ

2005-06-08 08:02:29 | Weblog
昨日は近所のご主人に誘われ久しぶりゴルフ楽しみました。彼の息子さんも一緒でした。お二人ともゴルフはお上手です。息子さんはシングルの腕前ですし、その飛ばす力すごいです。270~280ヤードは飛ばします。

それにひきかえ、力がなく運動神経も駄目な私はぜんぜん飛びませんし、ゴルフも下手です。もう何十年もゴルフやっているのにです。大分前ですが、仲間とのゴルフで「レディスゴルフ」と冷やかされたことがありました。今の女子プロはすごいですが、そういう意味でなく、力がなく、なよなよして飛ばないゴルフを揶揄して「レディスゴルフ」と云われたのです。最近でも、口の悪いキャディーさんに「もっと力入れてクラブを振りなさいよ。あんた男でしょう」とか云われたこともあります。

そんな私ですが、ほかに出来るスポーツもないので当分ゴルフは続けたいと思っています。少しは体にはいいのではないかと思うので。町内でもゴルフの会があって、いままで参加してきました。しかし、この先、町内のゴルフは参加するかどうか思いあぐねています。というのも、最近は楽しむゴルフではなく、スコアを競ういわゆる「コンペ」の性格が強くなってきたからです。コンペが終わったあとの懇親会もなくなり、コンペが終わったら表彰式をやって「ハイ、さようなら」です。町内で仲良くの精神が薄れてくるのは寂しいですね。

唇の珍事

2005-06-07 20:19:16 | Weblog
いゃー参りました。日曜日の夕食で魚の小骨が唇に刺さり、骨の残骸が唇の中に残ってしまったらしいのです。私にはそう思えるのです。それ以後、食事のたび唇が痛くて (絶えられない痛さではないのですが) 全く憂鬱でした。とうとう我慢できず、夕方歯医者さんへ電話しました。ほんとは歯医者さんは門外漢かとも思ったのですが、どこの医者へ行ったらいいかわからないので、藁にもすがる気持ちで電話したのです。

受付の女性がいいですよ、どうぞ来てくださいと気持ちよく応対してくれたので、喜んで歯医者さんの門をくぐったわけです。ところが、いつものお医者さんはいなくて今日は代わりの若い先生でした。(一寸不安)骨は残ってないようですよ。念のためレントゲンを撮りましょう。で、レントゲン撮影したのですが、骨の残骸らしきものはないとのこと。結局、化膿止めの薬をいただいて退出しました。

若い先生曰く「これ歯医者の仕事ではないのですが・・・」(分かっていますよ) 私(歯医者)も魚の骨を喉にひっかけたけれど、一週間ほど薬飲んだら治りましたよ、ですと。こういう場合は何科の医者へ行ったらいいのでしょうね。まあ、たいしたことはなさそうなので、医者に診てもらった安心感からか痛みも薄らいだような気分です。やれやれ。それにしても、人間の体、些細な異変でも鋭く感知するのですね。妙なところで感心しています。歯医者さんの受付の女性に感謝、感謝、笑顔が可愛い素敵な女性です。

能ある鷹は爪を隠す

2005-06-06 06:52:36 | Weblog
二週間ほど前でしたか、妻がすごいニュースを聞いてきたというのです。何事ならんと問いただすと、近所の奥さんがダンスの競技会へ出場するというのです。年齢は別にしても、とてもダンスの競技に出るなど考えられないというのです。私もその方をよく知っているので、にわかには信じられませんでした。

昨日、妻は市民体育館へ行ってきます、と出かけました。ははあ、ダンス競技会を見にいくのだなとすぐ分かりました。もともと、くだんの奥さんがダンスをやっているなど信じられないと云っていたわけですから、よほどショックを受けたんでしょう、「ダンス競技を見に行く」とは一言も云わず出かけて行きました。

帰宅してからも、自分の方からは「ダンス」がどうだったという話が出ません。仕方なく、今日の競技はどうだったと聞きました。「もうびっくりしたわよ」「ゼッケンつけて颯爽とワルツだとかタンゴを踊っていたわよ!」「ダンスのパートナーは知らない人」とか、いろいろしゃべりました。そして、帰りに掲示板を見たら、予選通過の貼り紙がしてあったそうです。

いやぁー、人は見かけによらないものですね。私もただただびっくりしています。夜、くだんの奥さんから電話がかかってきました。またまた、長電話が始まりました。これ、私はすごく苦手なのです。早々に退散しましたが何時まで話していたことやら。「能ある鷹は爪を隠す」って本当なのですね。

奥利根写真紀行

2005-06-03 13:08:56 | Weblog
6月1日、パソコン・サークルのメンバー6名で奥利根方面へ出かけました。雲ひとつない好天に恵まれ、本当に楽しい一日でした。世話をして下さった方は、手なれたもので、車に野外用の椅子、テーブルをはじめ水まで積んでおられ、いゃーすっかりお世話になってしまいました。女性のメンバーは果物まで用意するとか、気配りすごいです。持つべきものは友達ですね。

皆さんそれぞれデジカメ持参で、いい写真を撮ろうと頑張っていました。秋には、私たちのサークルが所属する公民館主催の「文化祭」もあるので、それに出品するいい写真が撮れればと思っていました。しかし、いい写真撮るのは難しいですね。帰宅して撮った写真を見たのですが、どうもいまいちでした。

一口にいい写真と云いますが、「いい写真」とはどういう写真なのでしょうね。カメラにもよりけりですが、細部までハッキリ撮れているとか、構図がいいとか、色彩がきれいだとか、要件はいろいろあることでしょう。文化祭などに並んでいる、いわゆる写真クラブの方々出展作品を見ると、すごいなーとか、ものすごくいいカメラ使っているなとか、そんな感心のしかたします。でも本当にいい写真というのは、「見る人に感動を与える写真」だと私は勝手に思っています。ブログに写真日記など出している方があります。携帯で撮られたと思われる写真なども出ています。画像は決していいとは思えません。それでも、いいなーとうなってしまうような写真があります。私はそのように見る人に感動というか、感銘を与えるような写真、それが本当にいい写真ではないかと思っています。

なんせ、写真の技術も初心クラス、経験も浅いので、大きなことは云えません。自分なりの価値判断です。でもそれでいいのではないか、と私は思っています。