枇杷葉は、別名があって、『大薬王樹』とも、『無痛扇』とも言う。これらは枇杷葉の効能からくる呼び方で、やってみればよくわかる。あらゆる病気に対応し、痛みを取り去るのだ。
五十肩も、青い生葉を貼っておくだけでも、腕が翌日にはあがるようになる。焼酎漬けや蒟蒻を乗せればいいが、個人差があり、どれがいいかは定かではないのだ。
これは枇杷葉の効果と、人間本人が持つ治癒能力とが、うまく合わさった時に発揮することで、治りたいとか治そうとかいう心がなければ、不可能に近い。体の細胞の仕組みや活動に、どのような影響を与えるのか、データを取っている訳ではなく、私が本能的に感知したことだけです。
人間は、長所も短所も併せ持つ。相手にもより、これが生かされたり芽が出なかったりする。けれども人間は一人ではなく、また大勢の中の誰かでもない。個人の意思を持ち、様々な形態で生かされているのです。私の場合は、それらが苦手で苦痛を伴うことがある。
一人でコツコツとしていくのがいい。努力というのは他人に知られずにすることだと思っている。わからないことは、何としても調べるが、興味があってのこと。関心がなければ見向きもしない。両極端なんだな。
この年まで生きてきて、彩り豊かな布が、少しは織れてきているか?と離れた場所から眺める。う~ん。あまり変わり映えしないか?人間関係の複雑なのは嫌で、極力友人や知人の類を作らない。
それがモットーで来ていたのに、このところ増えていく一方です。要は、距離感の保ちであるが、どうにも苦手である。パソコンでのやりとりなら煩わしいこともない。と割り切ってみるが、如何せん、私と言う人間は変わりないので、結局はあまり意味がないみたいでもあるが。
文化的生活ができて、快適な暮らしというのもやはり個人差がある。基準が異なれば、自然と価値観も違ってくるよ。自分はどうしたいのか・問うてみる。そうさな。仕事は近場だからいい。勤務先の給料は普通以上だからいい。
仕事の内容や人間関係は、どちらかと言うと良好です。働けるだけありがたい。という感謝の気持ち以外にはない。贅沢は敵で常に欲張らないことを心掛ける。日々の努力を惜しまない。自分のブログの更新をする。という思いもそれなりにできている。
枇杷茶が縁で、お付き合いさせていただいているAさん御夫婦。千葉のRさん。ブログから書き込んで、我が家においでになったMさん。千葉のRさんのご紹介で、美味しい珈琲を届けてくださるサンタさん。某同人誌の書き込みや集まりで、ご自分のホームページがある浜さん。
ここを訪れてくださる方は、そういった方のお友達が大勢ではないかしらん?同時に、枇杷葉にとても関心のおありな方も、おいででしょうね。最近、枇杷葉ファイルが更新できない。ちょっと体力、気力が落ちた?
今現在、どうしてもしておきたい。ということがない。いつも何時死んでもいいようにはしておこう。長生きはすればするだけ逝き辛い。と考えてはいるが思うに任せない。と言うか思うように生きていれば、それだけで満足である。ややこしい表現だな。人生の重みを噛み締めたら歯が折れてしまった。ということにならないようにしよう!
小2の孫が、学校に花を持って行く。と言い、白い可憐な花に、どくだみを切って。と差す。いいけどさ。臭うよ、持って行けるの?大丈夫というので切ってやった。しかし臭いの何たるかを知らなかった孫。
臭い!と喚く。車の中でも、家に着いてからでも、賑やかに言っていたが、どうやら学校まで持って行ったらしい。担任の先生は、孫にどんな言葉をかけてくださったのか、とても気になっている。
五十肩も、青い生葉を貼っておくだけでも、腕が翌日にはあがるようになる。焼酎漬けや蒟蒻を乗せればいいが、個人差があり、どれがいいかは定かではないのだ。
これは枇杷葉の効果と、人間本人が持つ治癒能力とが、うまく合わさった時に発揮することで、治りたいとか治そうとかいう心がなければ、不可能に近い。体の細胞の仕組みや活動に、どのような影響を与えるのか、データを取っている訳ではなく、私が本能的に感知したことだけです。
人間は、長所も短所も併せ持つ。相手にもより、これが生かされたり芽が出なかったりする。けれども人間は一人ではなく、また大勢の中の誰かでもない。個人の意思を持ち、様々な形態で生かされているのです。私の場合は、それらが苦手で苦痛を伴うことがある。
一人でコツコツとしていくのがいい。努力というのは他人に知られずにすることだと思っている。わからないことは、何としても調べるが、興味があってのこと。関心がなければ見向きもしない。両極端なんだな。
この年まで生きてきて、彩り豊かな布が、少しは織れてきているか?と離れた場所から眺める。う~ん。あまり変わり映えしないか?人間関係の複雑なのは嫌で、極力友人や知人の類を作らない。
それがモットーで来ていたのに、このところ増えていく一方です。要は、距離感の保ちであるが、どうにも苦手である。パソコンでのやりとりなら煩わしいこともない。と割り切ってみるが、如何せん、私と言う人間は変わりないので、結局はあまり意味がないみたいでもあるが。
文化的生活ができて、快適な暮らしというのもやはり個人差がある。基準が異なれば、自然と価値観も違ってくるよ。自分はどうしたいのか・問うてみる。そうさな。仕事は近場だからいい。勤務先の給料は普通以上だからいい。
仕事の内容や人間関係は、どちらかと言うと良好です。働けるだけありがたい。という感謝の気持ち以外にはない。贅沢は敵で常に欲張らないことを心掛ける。日々の努力を惜しまない。自分のブログの更新をする。という思いもそれなりにできている。
枇杷茶が縁で、お付き合いさせていただいているAさん御夫婦。千葉のRさん。ブログから書き込んで、我が家においでになったMさん。千葉のRさんのご紹介で、美味しい珈琲を届けてくださるサンタさん。某同人誌の書き込みや集まりで、ご自分のホームページがある浜さん。
ここを訪れてくださる方は、そういった方のお友達が大勢ではないかしらん?同時に、枇杷葉にとても関心のおありな方も、おいででしょうね。最近、枇杷葉ファイルが更新できない。ちょっと体力、気力が落ちた?
今現在、どうしてもしておきたい。ということがない。いつも何時死んでもいいようにはしておこう。長生きはすればするだけ逝き辛い。と考えてはいるが思うに任せない。と言うか思うように生きていれば、それだけで満足である。ややこしい表現だな。人生の重みを噛み締めたら歯が折れてしまった。ということにならないようにしよう!
小2の孫が、学校に花を持って行く。と言い、白い可憐な花に、どくだみを切って。と差す。いいけどさ。臭うよ、持って行けるの?大丈夫というので切ってやった。しかし臭いの何たるかを知らなかった孫。
臭い!と喚く。車の中でも、家に着いてからでも、賑やかに言っていたが、どうやら学校まで持って行ったらしい。担任の先生は、孫にどんな言葉をかけてくださったのか、とても気になっている。