枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

グリーンシャワー

2009年06月04日 | Weblog
 我が家の道路側、フェンスの向うを、そのままにしていてもいいのだが、草を取っておいた。朝顔の苗が、わらわらと出ている。じゃが芋を植えていたのが、入っているのかしら?ミミズがにょろにょろのたくっている。木香バラが、しな垂れているので、フェンスに掛けておく。

 野ぶとうが蔓をのばして、フェンスに絡まっているよ。小さなピンクのバラが、フェンスに絡んで咲いている。小一時間ばかりの草取りをした。その後水遣り。明日は休みだが、友達が山野草を採りに行きたい。と嘯き、連れになれと脅す。しかも手弁当と珈琲付きです。巻きずしの用意をしながらの書き込み。

 木々の青。緑が滴るように、風に流れていく。さらさらとくすぐるように通り過ぎる。吾子の体をふんわりと包む。思春期の少女の背中を、つい、と押すようにも見える。腕白坊主や、お転婆さんの産毛をくすぐるような、軽やかな夏の風。カレンダーを眺めながら思った。

 6月って何にもないのね。え?休みだよ。特記事項もなしだ。あるとすれば、虫歯予防と父の日か。でもこれなんて、明らかなこじ付けだと思う。

 一家の大黒柱が、お父さんありがとう!なんて言われた日には、きっと身の置き所がないんじゃない?普段威張れない父親に対する、苛めではないのか?とも捻くれて思ってみる。

 鶯が実に、いい声で鳴く。春の鳥とは、名ばかりで、実際は夏の鳥ではないか?深緑に溶け込んで、一体何処で鳴いているやら・・・・・。ホーホケキョ♪声はすれども姿は見えぬが、天敵から我が身を守っているのだろう。

 そう言えば、安房直子の童話に、鶯の出てくるお話があったっけ。彼女の作品の数々は、その殆どが異国への扉につながっていく。鳥になった娘、天の鹿、白樺のテーブル、ねこじゃらしの野原、風と木の歌等。

 何れも不可思議な世界に迷いこんで往き、そのままだったり、帰れても往った世界が忘れられない。若くして亡くなられたのが惜しい。

 小説を読むのと、原作が映画になるのとでは、イメージが違ってくるので、できる限り映画は観ないようにしている。中でも松本清張の『砂の器』は、主人公の隠されていた秘密が暴かれる程に、胸が締め付けられた。『ゼロの焦点』も、『霧の旗』も、人間はここまで復讐できるのか?と恐ろしくもあった。

 私はその中でも『黒い福音』に激しいほどの衝撃を受けた。社会の地位や権力や、金によって、ふとしたことで、加害者になり、被害者になる恐怖があった。人間の人間たるを書いた一連の作品に、うめき声さえ出なかった。

 今年の枇杷の実。4月下旬か、5月の連休中に撮った物。まだまだ小さな実で、小指の先位です。それでも枇杷の格好をしているのが可愛い。袋かけはどうも、6月に入ってからしたのがいいようです。今日、3袋落下していた。唯でさえ個数が少ないのに、ほんっと泣きそうです。
 
コメント
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