枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

生きることは、死ぬこと。

2009年06月25日 | Weblog
 自分の未来に、何時まで生きてどのように死ぬのかわかったら、安心できますか?自然死にしても事故で死ぬにしても、死の直前は恐怖で耐えられなくなる気がするよ。まだ生きているから、その想いがないのであって死ぬんだろう・・・。

 死んでいくんだ・・・と感じた瞬間、生きていたい!と思うのではないか。死にたくないとの想いも同じであろう。況してや棺おけの中で蘇生などしようものなら、生きながらの火炎地獄。さぞや無念であることか。

 事故で生死の境を彷徨っている時も、そうなんだろうな。手術も然り。意識が朦朧として、混沌状態であろう。ではそういう時には、魂と肉体とは同じ場所に存在しているのか?どうやら異なった場所に魂だけが移動してしまうようだ。

 そこはとても寒く冷たい空間で、左右も上下もまったくなく居ること自体が不安定だった。それでいるのにひどく安らぎに満ち、月の光の裏側にいるように暗黒が広がっていたよ。往きたい処に翔け、想いのままに遇うことができた。

 その余りの身軽さに、肉体を忘れてしまうようだったが強靭な力に引き戻された。あの時、全身を襲ったひどく気味の悪い想いや、目の眩む閃光はなんだったのかしら?

 体中が氷のような冷たさで、しばらくは震えが止まらなかった。ガチガチと歯が噛み合わないほど、寒さを感じた。あの時に死んだのか?と思った。死んだらここにくるのか?とも思えた。何とも言い難い不可思議な感動だった。

 勤務先に、クーラーをかけるので鼻風邪を引きました。ドライにしていると言うもの、結構寒い。夏なんだから汗は出て当然です。却って汗の出ない夏ほど、怖いものはありません。その結果、階段を上がれなくなるのです。あれ?降りれなくなるんだっけ??これを、夏の怪談、と申します。

 怪談は小泉八雲です。耳なし芳市、番町皿屋敷、牡丹灯篭、ろくろ首等。この怪談も、坂田靖子にかかると心の底がジンとする。或いはハチャメチャに楽しい。涙が出るほど笑える。その後当然、自分が死んだ時を考えてしんみりしてしまう。想定の意外さが絶妙である。新刊で何か出たかしら?

 初夏の庭に咲いていた、赤いスイトピー。今年は、種を植え芽が出た頃に塩を入れた。すると立ち枯れがなく、長い期間を咲いています。ピンク、白、紫、赤でした。匂いはわりときついですね。
コメント (2)
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