今更、食材が偽装されていた、と騒ぐことだろうか?人間の心理を巧みに衝いた嘘は、大昔からあったことだ。騙される方も、知っていながら黙っていたり、賄賂で儲かるのだから、沈黙を守るのだ。お互いが利益を生じていたりする。美味しく食べたらいいではないか。
何しろ、メディアが煽るのだ。あちこちでの矢鱈と多い料理番組、不味い店に駆けつける。行列を成せば腹も減るから、美味しくも感じる。そういった心理に附け込んだ商法なのだ。それの何処が悪いのか。金に任せて出かけて行けば美味しくもなる。自尊心も満足する。
同時に、味覚の問題もある。例え同じ物を食べても、同じ食感ではない。当たり前のことだろう。事実、微妙な味の違いなど、簡単にわかる者が何人居ることか。テレビでしていることを鵜呑みにしたり、信じる方が間違っている。あれはやらせだ。視聴率を上げるため。
その程度の偽装をしていたからといって、今更咎めてみても始まらない。お腹が痛くなったとかいうのであったり、体調を崩してしまったりすれば別。間々、死なない程度に加減をしてある。店の経営は、儲けがなくては成り立たない。如何に安く仕入れて、高く売るかだ。
品物の価値を知っていて、心を込めた扱いをすれば、どんな物でも高くなる。と言うか、値が付けられない。我が家の枇杷葉など、神がかりしている物。そういった物を発送しても、受け取った方が、どうするかでも価値は異なってくる。だから金銭はもらわないことだ。
天と地の恵みを、感謝して受け取ることができる、その幸せを恥じない自分でいたい。言葉にも嘘偽りのない想いで話したい。人を欺くことは、己を貶めること。人を愛することは、自分をも好きになれることだ。自分の他は信じないのも、騙されない方法でもあるのだ。
山茶花が満開になり、白い花弁を散らし始めた。其処に雀が来る。毎朝、遣って来ては、愛車に糞を落とす。雀のお宿の、婆さんの気持ちがわかる。いや、鋏で舌を切ろう等、とてもできるものではないよ。相手の方が、羽もあり、すばしこい。毎朝、掃除をしている。
ゼラニュームの赤い花。冬越しに、そろそろ中に入れねば、と思うが。思案中でもある。さて、どうするかなぁ・・・