昨夜、腰の痛みに簡易懐炉を貼った。蒟蒻と枇杷葉も施行して眠る。今朝は早出であったが、弁当が要らないため、寝床で三国志を読む。このところ毎晩、読んでいる。第五巻目に入る。なるほどなぁ、そうかそうだったのか、と納得して夜が明ける。
香乱記の田横も、某新聞に連載の劉邦も、その人柄では惹かれるものがある。三国志には、劉備玄徳と、諸葛亮・孔明の名が前面に出過ぎて、曹操や孫権の人物像が掴めない。だが、これは面白いのだ。歴史の中で、活躍していたことが偲ばれる。
勤務時間中には、居眠りはできないし、休憩時間も眠ったら大変である。そこらをうろうろしていた。しっかり濃い目の珈琲を飲む。帰宅して、蒟蒻を温めて腰に貼る。次いでブログを更新する。ゴミ出しも済ませる。焼き芋を1本頬張り、珈琲を飲んだ。
狭霧消ゆる湊江の・・・霧の深い朝でした。これからは当分、霧が囲む。上着もジャンバーに替えた。手袋も着用して、重装備の出勤。暖房に頼らない暮らしでは、勤務先は常夏状態。帰ると背筋が伸びます。洗濯物を仕舞いつつ月を見上げる。
ここ数年というもの、この季節には時雨が多い。まあ、尤も刈り入れが済んで、脱穀が終り、籾を筵に干す時期には時雨はつきもの。祖母も母もまた、何処にも出かけられず空を見上げていた。小まめに筵をさぐり、広げる作業には丹精があるのみ。
勤労感謝の日には、家族総出で籾殻と玄米に分け、小米とも選別して俵に詰めた。気の遠くなる作業がなくては、ご飯は食べられなかった。精米に行き、竈に釜をかけて炊いた。米の一粒も捨てなかった。メダカや鳥が洗い場で待っていた景色。
自然を敬い畏れ、苦労することも当たり前と受け入れていた。子どもの頃は、そういったものが理不尽に思えたもの。便利で豊であることが、原発を優先させ、大事故に結びついた。核のゴミが増え続ける日本では、不可能なことは明らかである。
庭の西側にある三段の棚で、次々と咲くミニバラ。花のある暮らしは、ちょっとした安らぎでもある。