枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

白昼夢・・・

2013年11月12日 | Weblog

 まさか!何故か、月が東天にかかっている。いや、月が愛車の動く進行方向に移動して行く!今は、満月になって行く時で、下弦ではないのだ。それなのに、どうして月が欠けて観えるのだろう。それも、白昼にだ!!昨日、郵便局から、我が家までの数分間だった。

 何気なく、宇宙を見上げて、ぼんやりとしていたものだから、携帯での撮影を失念していた。証拠がないので、どうも真実味がない。以前、従妹が来た時にも、とても不思議な体験をしたことがある。沈んだ筈の太陽が、部屋の中に居るにも拘らず観えたことだった。

 同時に、月が左手の中に乗っていた。太陽は、キラキラと光を撒き散らしながら、右手に乗ってきた。唖然としているのを訝った従妹である。娘にも観えたらしい。従妹と一緒に来ていた人にも見えたようだが、はっきりとはしない。きっと癒しの力を授かったのだろう。

 その力が、枇杷葉のエネルギーを満たして、様々な要因を超えて、やっと発揮しているのだ。ありがたいことに、受け入れてくれる人には、惜しむことはない。真心の通じる人にはわかるのだろう。真実の心のままに素直になれば、反応していくのだ。感謝するのみ。

 研修があって、映画を観た。毎日がアルツハイマー、というタイトルだった。途中からだったが、言わんとすることは心に沁みた。人間は、年を重ねていく毎に、自由になっていきたいもの。親子だの兄弟だのなく、思う様に生きていたいのだ。現実には無理なことだが。

 秩序も、権利も、社会もなく、服を着たい時に、思うように着て、風呂にも入りたい時に入る。制約も、順序も取り払って、好きな様に生きていたい。周りの事など関知せず、死ぬまでの自分の人生を思う様に。だが日本では、そういった生き方は、難しいのかもしれない。

 自分の人生を、悔いなく精一杯に過ごすことのできる社会に、そこに個々の信念と理念のあることを、切に望む者である。人間が、評価を行うと、必ず眼鏡が曇る。今後は、神さまのなすがままのあり様で、真摯に生きていたいものであるが、果たせるかな・・・疑問。

 小さな枇杷苗。何と、4年も経っている。長崎茂木の種からの発芽で、日陰での発育。困難を極めている。

 

 

コメント
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