枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

亥の子餅・炉開き

2013年11月05日 | Weblog

 孫等を迎えに行って連れ帰り、お八つを出す。その際、コップを鷲掴みするのと、持ち手を持つのとはどお?と尋ねる。勿論、飲む時の気分である。二人共考えて、後者を選んだ。どんな物でもそうだが、口をつける場所に手を、指を触れないのが常識でしょ。

 孫等に問うと、気持ちがこもっていない。と返事をした。お茶を淹れる加減も、温目の人には数分早く、頃合いの人、熱目の人と配慮したい。同時に淹れて、熱ければ氷を入れるのでは、体の機能低下につながる。機械や薬に頼らない生活の基礎を持ちたい。

 上天気の暖かさに、布団を干し、洗濯を広げる。午後から、山女の生をりささんに宅配で送る。明日には着くと思われる。焼酎に漬けている、枇杷葉の種と、鉈豆、山女も同封する。割れ物・生物と丸をつけ、天地無用を貼ってもらう。帰宅して、三国志に読み耽る。

 庭の枇杷葉の苞も、格段に少ない。今年、生り過ぎたらしい。他の木のが初めて付いたの、たくさんあるのも見えるが、長崎茂木は中休みか。台所の窓際のが、ちょっと発育不良。自然に任せることは、その生命力も委ねることなのだ。親が児を想うさまに似ている。

 明日は、歯医者です。奥歯の虫歯が欠け、応急措置をしているが、肩凝りが酷い。介護フェスタが済むまでは気が抜けない。皆で協力しなければできない。然し、誰かに言うより自分で動きたい。掃除は、手順と段取りが大切なのだ。其処、違うでしょ?って思う。

 従って、自分でするのがいい。きれいにしても、当たり前のことである。それらが日々、続かないと元の木阿弥。だがめげないのだ。電気代も節約できる。環境も整えられる。陰気な雰囲気では心が萎える。生きている張は、個々に違うが、陽気を漂わせたいもの。

 かすみ草が、庭の片隅で咲いている。初冬なのに、この暖かさだ。鉈豆が、一つ生っていた。綿の花もたくさん咲いた。葱の根がついた。クリスマスローズが新芽を出してきた。地植にするには、枝豆を植えて増やそう。土を換えて無農薬の栽培だ。わくわくしちゃう。

 銀木犀とユキノシタ。天麩羅にして食べたら、美味しかった。白い花がしゃきっと咲いている。ランナーで増える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする