昨夜の冷え込みは、然程でもなく、その内雨音が聴こえ始めた。蒟蒻の温かさに、気が緩んで眠った。今朝は、ぎりぎりまで布団に居て、弁当を手早く詰め、出勤する。里芋の煮転がしを、三日程前から作っていたので、慌てないで済んだ。隠元豆も湯がいておいた。
明日は、孫等の学習発表会で朝が早い。洗濯をしておこう。天気だといいが、と思ってみたり、雨なら本が読める、と考える。繕い物もある。貧乏暇無し、とも言うが、実に用事が多い。まあ一つひとつ片付けるしかない。如何なる時にも読書は外せない。庭の手入れも。
明日も天気はぐずつくらしい。日々のちまちまとした用事をしていると、時間はあっと言う間に経つ。成果の著しい結果は出ないが、何かは前に進んでいる。自分を信じると、背伸びをしなくなるもので、なるようにしかならないこともわかる。神さまの意志の儘に生きる。
自分の体に、癌細胞があることは知っている。けれども、医者には行かない。また、手術もしない。枇杷葉を知った時に、自分で治す。と決めた。神さまを信じ、自分に備わった力を過信しないでいれば、援けてもらえる。自然のままに、あるがままに過ごすことが大切。
自分に課せられた使命を、きちんと果たせば、死への恐怖にも襲われない。抗うこともしない。どんなに粋がっても、決められた寿命は変えられない。何もしないのではなく素直に生きる。ハードルを一つ越える毎に、新たにまた目標を決める。命の終えるまで行うのだ。
どんな人間でも、言いたいことや、黙っていたいこと、死にたくなることが、数え切れないほどあるものだ。それが人生。悲観することも、楽観することもまた、生きる全てではある。自己満足には違いないが、やってみようと歩いていくのだ。そのことが張り合いでもある。
南天の実が熟れて来ると、雀や目白、百舌鳥や鵯がやって来る。彼等には、絶好の食事になる。見ていると好みの餌がある。鳥は苦手でもある。ヒッチコックの映画を観て以来、恐怖が去らない。現実との境がなくなりそうだ。猫は虎だがどうだろう?虎になるかな?
今夏の庭の様子。色付き始めた桑の実と、枇杷葉の苗。3年目になる苗も、日当たりでこれだけ差が出る。