枇杷葉を知っても、直ぐに必要ではなかった。体がけだるく、何をするのにもたいぎで、少し動くのもしんどかったのを覚えている。そういった辛さは、誰にもわからず、訴えることもできない。親に心配かけまいとしてもいた。心理的に不安定な状態がいけない。
祖母の植えていた枇杷葉があって、母は、それを持って来てくれた。自分で運転できないので乗せてもらってだ。気力が萎えるというか、やる気が起きないと言う有様で、自分を持て余していたのもこの頃。自分の時間がとれない苛立ち、子どもは幼かった。
本が読めないことも一因で、免許もなかったから鬱積が溜まる。子どもが学校で借りてきた本が楽しみで、夢中になって読んだ。当時は、お母さんの勉強室、という番組と、テキストがあり、多いに活用していた。投稿して採用されたことも幸いした。脱出できた。
地元の新聞への投稿も、図書券欲しさにやっていた。偶然から上京して、某作家にお会いしたことが、それからの人生を変えた。当時は、中堅の作家であったが、今や人気作家になられている。かれこれ30年のお付き合いになる。娘さんとは枇杷葉が縁。
あの不思議な夢に導かれて、枇杷葉を教えてもらい、白龍と出遭ったことは、考え方を変えた。自然を知ることに依って、当たり前のことが、人工的に歪められていることも、人間が豊かな生活を欲し、快適な暮らしを求めた結果だ。愚かしいことではある。
人間が、どんなに偉くても、自分の寿命を決められはしない。それを延命措置を施したからと言って、数日或いは数ヶ月、数年生きられたとして、得るものは何だろう。命を継ぎ足すことは不可能である。どんなにお金を積んでも、尽きるものは助からない。
枇杷葉も、生かす方法にも依るが、絶対ではない。枇杷葉との拘りも、同じものではなく、その要因で異なる。委ねるとも云う。神の御心のままに祈ることだけ。その無心さが、或いは援けてもらえることになるか、希望に繋がるかは、誰にもわからないこと。
地球の過去も、現在も、未来もまた、思考的には違っても、滅亡への未知を辿って行く。それがわからないから、未来であり、絶望か希望かは、個々に異なる。明るい未来で無いから、人類は進むのだ。いや、行ってみなければ、何もわからないことでもある。
長崎茂木枇杷。10年目になるが、隔年毎でたくさん生る。自然に任せていると、天と地の恵みがわかる。