日々、寒くなっていますが、これは自然でもあり、当たり前のこと。冬に寒くなかったら、何時寒いのだろう。冷房をつける夏であるか。人工的な寒さは、病気の元を作るし、禍を呼ぶ。自然に生きることは容易く、また難しい。生き難さでもある。
高齢者になると、冬の肌はかさつく。潤いが少なくなっているのだから、自然なことでもある。枇杷湯に入っていると、潤いは保たれ滑らかだ。蓬であってもスギナ、柚や蜜柑でも同じ。個人差や体質があるため、必ず試してから使用すること。
人工的な物と言えば、サプリメントがある。様々なエキスを固めていることで、普段は補えない養分を足す。ところが不必要なものまで摂取し、却ってならなくてもいい病気の要素を取り込む。そのことに気づかない体が出来上がる。手遅れ。
質素に暮らすことは、何という贅沢であろうか。衣食足りて・・・と言うが、自然の恵みを忘れて、無駄ばかりである。素材を生かすことをしないで、簡単で便利な方法ばかりを求める。食の安全どころか、偽装されていても優越感が先走る。
野球は好きではないが、野茂投手は凄い。その野茂投手が、殿堂入りされる報道に、思わず拍手。彼の直向きさや、地道な行動があったればこそ、松井だって米国に行けた。国民栄誉賞は、彼に先ず贈ってほしかった。大切なことって何?
嫁に先日の、認知症のビデオを撮ってもらっていたので、観に出かけた。ちょっと脇が騒々しかったが、天寿を全うされて、逝かれたとのこと。当たり前と言えばそのままである。病院にしてもまた、自宅にしても、現在は様々に利点が多いよ。
認知症と言うが、これは人間であることを受け入れること。人間であるが故に、老いると皆、行動も思考も衰えていくのだ。況してや、仕事を生きがいにしてきた半生は、個々に違っていよう。通り一遍のマニュアルには、細やかさは欠ける。
先日、入浴介助をした時、穏やかに声をかけ、その人の時間に合わせてみたら、何時ものように湯船に入り、出てくれた。その人の残されたものに寄り添うと、難なく可能になるもの。これは私の持つ特殊能力に他ならない。自然の力でもある。
今夏の桑の実。枝を伐ったので、昨年より半減した。秋になり、忘れたように実がついて熟し、口に含むと自然の恵みを堪能できた。