枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

尿失禁予防に・・・

2014年07月01日 | Weblog

 一時期、笑うだけで尿漏れがした。くしゃみでは、パッキン緩む感じで、ほとほと困った。然し、枇杷葉茶を飲むようになって、それらがピタッと止まった。トイレへの回数も、際限なくから減った。考えられることは、枇杷葉茶以外には有り得ない。

 夏場の汗のべとつきや臭いも消え、体臭がしなくなった。加齢臭がしないのに、先ず驚いた。頭にクエスチョン?が、たくさん樹立するが、どう考えてもわからない。枇杷葉茶を飲み始め、種を齧る。枇杷湯に浸かり、枇杷三昧の日々ではあるが。

 最近の医者は、パソコンの画面を見つつ喋って、患者の顔色は愚か、聴診器で診ることもしない。或いは診たとしても、はっきりと診断が下せない。いい加減なことしか言えない。試しに薬を出す。症状に依っては効くこともあるが、必ず薬害もある。

 自分の体のことは、己が知っている。今回の体調不良も、働き過ぎからくる心労である。枇杷葉茶を飲んでいたから、これくらいで済んだのだ。そうでなかったら、お陀仏であった。給料に見合う働きをすればいいのを、真面目にしていた証である。

 からだの異変には、外面的なことと、内面的な要素が含まれる場合がある。急激な変化は見ればわかるが、心の中までは覗けまい。然し、性格や個人の特徴を知っていれば、誰に問うでもなく、あれっと感じるものだ。大事になり気づくのは遅い。

 働く者にも権利や人格がある。たくさんの仲間がいても、気の合う者もそうでない人もいよう。自分のことばかり主張していたり、相手のことはお構いない人も居れば、自分よりも相手を優先し、気働きのできる者もいる。折り合いをつけるは困難。

 今回の体調不良で、しんどいことを我慢したり、施設の中を汚れているからと、掃除するのは止めた。どんなに掃除をしても、雑な人は平気だし、汚すばかりだ。自分の体を犠牲にしてまで、やることはないと結論。手当ても自給も増えず付かない。

 集団的自衛権。解釈を曲げこんで決めた模様。自民党のだらしなさ。公明党のインチキ。命は何よりも尊いという概念が消えた。9条の解釈自体を変えてはならないのだ。これで最早、民主主義は消滅。独裁政治と、アメリカに依存した首相だ。

 国民こぞって賛成をしたのか?内容を時間をかけて話すことも、国民に真意を問うこともせず、上辺だけのまやかしで、国民を愚弄したに過ぎない。権力さえあれば、金さえあれば、遣りたい事をしてもいい。というおぞましい殺人の方法が決まった。

 白枇杷の花芽。寒中にしか咲かない、と想っていたが、立春から次々と咲き結実した。1枝捥いだら、甘酸っぱかった。

 

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