昨夜は、洗面所の窓を開けていたら、風の通りがいいので、そのまま眠っていた。管仲、上下を読破する。人名としては知っていても知識は乏しい。歴史小説の醍醐味は、その時代のことがわかる記述でなくては読めない。作者に、敬意を払い感服する。
香乱記、太公望も再読したい。夏姫、妲姫、褒娰は春秋時代の絶世の美女である。褒娰は特に謎に覆われ、国王が笑った后を見たいがために、烽火をあげて国を滅ぼした。この頃の女性は、見かけよりもしっかりとしており、いざとなれば鎧を着て闘った。
加えて、教養のあり方、孝養の仕方等、学ぶ意欲は大きかった。自分の身は、己で守る手立てを覚悟していた。武力で治める国には住まず、労を厭わず、課税の少ない国に集まった。今の世と比べるべくもないが、宰相や王とは、民の心を聴いていた。
日本は、遣唐使や遣隋使を派遣して、仏教を伝え広めた。アメリカは新しい国で、中国の歴史には並ばない。自由がある変わりに、自分に責任を持つ。民主主義の素晴しさは、自分も守るが相手も守るのだ。平等には、教養と学問の広さを含んでいる。
日本の首相は、何事につけても、言い訳を繰り返し、他人が取るべく責任の転嫁をやる。本当に原発が安全で安心なら、何故きっぱり言えばいいのだ。それらが曖昧で不透明であるから、逃げているだけ。答弁なく減らず口であろう。駄々っ子と同じである。
原発を再稼動して、喜ぶのは政界だけだ。懐に転がり込むのは、莫大な金額であり、財界にとっては棚ぼただ。庶民の命を何だと思っているのか。嘘つきで、腹黒く、自分達のことしか考えない。電力は余っていて、節約と倹約で凌げるのに、贅沢である。
某新聞に、東北大地震の時に、舟を沖合いに出して助かった人、湾に残って助かった者。そのどちらも咄嗟の判断が命を救った。海のことを知っていても、今何をしなければならないかがわからないと、神の手が下ろされる。それをこそ真の勇気と言うのだ。
然し、憲法の解釈を変えることも、言い訳を繰り返すことも、原発の再稼動をすることにも、国民への説明ができていない。野党になった民主党を始めとして、野次はいけないが、言論的に突っ込みを入れるべき。人間として、何故可笑しいとは思わないの?
八重、一重のクリスマスローズが咲いた。長く咲くので、初夏まで愉しめる。鉢で殆んどを植えているが、零れ種がたくさん落ちる。