昨夜は遅くまで洗濯や、片付をした。窓ガラスも気になり磨いた。今朝は、雨音に安心し、寝床で文庫本を読む。昼近くなって起き、朝昼兼用のご膳を戴く。洗濯は、少量の1杯なので直ぐに済む。さて、図書館で借りた本を読もう。読み進む内に、老いの衰えを痛感する。
そのどれもが当て嵌まることで、たじろぐ。然し、怯むことはしない。何しろ、それら全てが老いることだからだ。自分のやり方で続けることの難しさと、信念を曲げないことに加えて、相手の言い分を聴くことが大切なことに想い至る。当たり前と言えば、当たり前の心使いだ。
新聞は、休刊日を除いて、毎日目を通す。広告には惑わされない。自分の生き方に自信を持つ。嘘も方便と言うが、相手が困窮するようなことはしない。言霊の存在を信じるので、何れは自分に還ってくるからだ。年齢を言い訳にはしないが、自分の限度をわきまえる。
読書で得られることは、自分の知らない知識が増えること。でも、忘れることも多々ある。漢字が書けなくなって来たのに、自分でも慌てる。漢字検定に挑戦もいいかも。できるだけ、辞書を手元に置き、例えPCで解説されても、引き直す。その意味も詳しく調べることだ。
可能な限りは覚えていたい。然し、忘れる。これ等の繰り返しではあるが、日本に残る四季折々の行事や、それらにまつわるお伽噺は知っておきたい。旧暦の大切さは云うまでもないだろう。人間として決してしてはならない戦争は、如何なる理由があれど否である。
東芝が、原発を輸出する。今後は、一切東芝製品は買わない。今ある商品も返却したい。理不尽なことをして、世界を戦争に導く手助けをする原発を、何故日本の企業がするのか?福島の惨状が収まらないのに!広島にも長崎にも、況してや福島に、何と詫びるのか。
ドクダミ茶は、根槐に換えてから、急速に腫れが引き、脱皮する。枇杷葉茶も、花芽や種を飲んでいるからか、毒素の出方が違ったのだ。近くの友人は、その反対で、葉でないときついそうだ。枇杷葉酒も、葉でした物で、珈琲に1匙入れるらしい。やり方色々でいいよ。
枇杷葉茶を飲み始めたことで、体自体は頗る元気であった。それがある意味間違いであった。気力のことを忘れていた。精神的な弱さを考えず、行動することは止めよう。頑張らないでいることの難しさであるが止む無し。清貧の暮らしであっても、心は豊かであろう。
月である。ありきたりの姿かもしれないが、地球で生命が誕生するのには欠かせない存在だ。月の満ち欠け、潮の満干潮は神秘。