枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

龍は暴れる

2014年07月13日 | Weblog

 川面の波立ちを龍に見立てていた昔。濁流に暴れる様は、生きた心地はしなかったであろう。水無月には、一滴の雨も降らず、雨乞いをすることも多くあり、水神への祈りは人柱さえ起きていた。今年は雨が多く、各地に被害をもたらしているが、人間の都合でしかない。

 山は、古来から神聖なものとして崇められ、汚すことなど考えれらなかった。昨今の事情が変わり、金さえあれば何でもできる。老若男女が富士山を目指す。山ガールの出現が悪いとは言わぬが、恰好で山に入るのは自粛したい。人間よりも、山の都合を考えたいもの。

 祖母は、山に入る時には、暦を眺めていたし、そのしきたりも熟知していた。山で迷うこともなく下りて来られたし、祈りの心を捧げていたのも確か。加えて、必要な物だけを分けてもらい、無益なことは一切しなかった。致し方のない時には、必ず断りを入れる。侮らない。

 恒例の集まりをする。お馴染みの手巻き寿しであるが、天気の変動が激しく落ち着かない。早朝、激しい雨音に飛び起きる。酢飯を作っておき、ゆっくり新聞に目を通す。昨夜は、宮城谷昌光氏の『管仲・上』を読んでいて、就寝が遅くなった。ああ、時間が足らないなぁ。

 珈琲を淹れて飲みながら、至福の一時を味わう。拭き掃除も終えた頃、息子の家族の到着。手巻きの具を、テーブルに出す。青紫蘇が要るというので、庭に行き収穫する。軟らかくて美味しいのが溢れている。お腹一杯になった頃、娘夫婦は、大幅に遅れてやって来た。

 孫等に、先日収穫した麦を教える。中学生のが、びっくりしていた。興味の度合いが違うのだが、何とも淋しい。快適で便利な生活には、考えてしようという気も減るだろう。安心も安全も、絶対という保障もない。季節の営みを知っておくことは、生きていくことでもあるが。

 今週は夏季休暇に入る。孫らの暑い日々が始まる。中学生のは、部活に余念がない。二学期早々、体育会が待っている。吹奏楽部なので、演奏をする。種目に参加もあり、多忙な体であるのだ。小学生は、ちょこまかと動く。人数が少なく、出番が多い。5人なのです。

 はだしのゲンを読み、青空市を探して手にした麦。昨年の秋に蒔いたら、寒中には大きくなってきた。孫等とせっせと踏んだ。

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