枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

新暦・盆、梅雨明けか・・・

2014年07月15日 | Weblog

 やっと晴れた!連日の雨に草木の元気がない。自家製の薬をかける。トマトが2つ生っており熟れるのが愉しみ。胡瓜は、大きくならずに枯れてしまう。鉈豆の蔓が勢いよく、枇杷葉や柚に絡まっている。メロンは何時とればいいのか?蔓が枯れたらかな。

 久々に布団を干す。何となくうれしくなり、午前中のんびりと過ごす。布団を仕舞った後、珈琲を飲み、管仲に没頭する。4時になったので、洗濯物を片付け、勤務先へと向う。研修に出る人の代わりである。折角の勉強会に出られないのは、と休日返上す。

 然し、研修が終わっての態度に唖然とする。誰のために学ぶのかがわかっていない。これでは進歩も、向上もないだろう。年齢を重ねてからでは遅いのに、と独りごちる。与えてもらうことが当然なのではなく、講師の姿勢に、何を言いたいのか知らねば。

 神さまのくださることには、様々な事柄がある。多分にそれらを使う姿勢しだいで、人生は大きく変わる。宝の持ち腐れとならないように、気をつけたい。必要なことであるから、教えてもらえるのに感謝の気持ちが無い。勉強は社会人になったらしなくていい。

 書籍を読むことは、考えを深めることに役立つ。記憶も直ぐには衰えない。テレビは点けっぱなし、会話は貧相極まる。介護以前の、人間としての資質が見当たらないのだ。年齢を重ねれば教養も深まり、丁寧でありながら、さり気無く、加えて優雅に動たい。

 それができないから、日々精進している。自分に忠実に、相手に添いたく思うが、中々それが実行できない。心と体が離れていく。言うは易く行うは難しである。老いていくことへの諦めもあるが、努力してやれることもある。もう少し、自分を戒めて生きたく想う。

 網戸のしていると涼しい。風の通りが佳く、先日の掃除の有難さを感謝する。夜間は、そのままだと風邪を引く寒さである。雨の日などは布団をかける。金縛りに遭わない限りは心地よい。自然の声を聴き、自然に任せて暮せる幸せに、これ以上の感謝はない。

 満開になった、乙女椿。この淡いシャーベットピンクが、何とも愛らしい色で、孫の姿と重なる。

 

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