枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

入谷・朝顔市、上弦

2014年07月05日 | Weblog

 朝顔に釣べ取られてもらい水。この状況が、さっと頭に浮かぶ人は、以前は何処にでもあった井戸を、知っている。梅雨が明け、盂蘭盆会の前には、必ず村中で井戸浚いをした。1年の溜まった塵を掻い出す行事だ。然して深そうでもない井戸だが、冷気が漂っていた。

 父は、井戸浚いを終えると、寒さに震えて風呂に飛び込んだ。唇が紫であったから、相当なものであったろう。何処の家も皆同じで、運が悪いと風邪を引き込む。水は、命を守る大切な資源で、感謝して使っていた。子どもの頃には、そのありがたさが薄かったのも事実。

 朝顔は、零れ種のこともあれば、祖母が買った新種の物もあった。祖母は、野に咲く草花を愛でて飾るよりも、咲いている場所で眺めた。鎌で止む無く刈ってしまった時は、持ち帰り竹筒に挿していた。祖母が活けると、花は長くもつ。咲いた後は、野に還してやっていた。

 ここ数日曇り空で、月の姿が観えない。昨夜は、久々に晴れていたが、気づいたのは遅く、10時を過ぎていた。数多の星の輝きに、蠍座や琴座、おうし座、白鳥座を眺め、夏の星座に想いを馳せた。梅雨明けが待たれる、もどかしい気持ちを表すような、曇り空である。

 キリギリスが潜んでいて、夕方の時間になると鳴きだす。鉈豆の蔓をかじられた。折角咲いたかすみ草も花がない。枇杷葉の新芽も、惨憺たるものであるが、敵も然るもの、中々姿を現さない。声はすれどもという按配である。居るのはいいけど無闇に齧るなと言いたい。

 天気が曇っているせいで、我が家の室内は寒いくらいだ。湿気もあるのだろうが、じっとしていると寒いのだ。枇杷湯に入るとほっとする。体の温まり方が違う。最近は、逆上せないのもいい。洗剤に荒れる手に難儀をしている。枇杷葉エキスに浸すのだが、捗々しくない。

 青空市で買った、春の陽射しのような水仙。2年目だが、ちゃんと咲いてくれたんだね、と言ってしまった。

コメント
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