自然を侮って、山を削り、田を作らず、河を埋めていった結果。こういった時に、無残なことになる。天災ではなく、人災であろう。古来、神を崇め、祀り、神聖な領域と心得ていた。ゴルフ場は各地の至る所にあり、猫も杓子も出かけて行く。管理には農薬を使用。
人間の身勝手としてしか思えない。昔の人々は、山を守り、海を大切にしてきた。戦後の敗戦で、アメリカが介入してきたことで、目まぐるしく変わって行った。松本清張氏の、一連の小説に書かれてあることに振動した。点と線、霧の旗、獣道、砂の器、黒の福音。
人間を呑み込む闇は、誰もが持っているものだ。光が大きいければ、闇も広い。そのバランスを巧く調整していかないと、崩れて消える。生身の体である以上は、その反動も少なくない。欲を出さないに限るが、知識や力は違う。自分で努力して、得ていくものだ。
我が家の庭には、余り草は生えない。枇杷葉があちこちにあれば、生えてくる隙間がないためか。ドクダミや夏枯草、みこし草にきらん草が繁る。必要な薬草なので、消えると困る。農薬はかけない。それなのにすくすく育つ。キリギリスが旨そうに、生葉を齧る。
尺取虫、蟷螂、蟻に蜂が忙しく立ち働く。こちらの言い分はあるが、却下されることが多い。朝蜘蛛の巣を顔にかける。ここは通り路だから他にしてと言い置く。翌朝には引っ越す。あの網を張る作業は、大変なものだ。要らぬ労力は惜しいではないか。わかってる。
台風で宇宙を観上げられないが、天の川の流れと、白鳥座、こと座、おうし座。そこから右に、エチオピア王家のケフェウス王、カシオペア王妃、アンドロメダ姫。天馬ペガサスに跨るペルセウス王子が並ぶ。南にいけば、蠍座の紅いアンタレスが不気味に光る。
箱を置いてみようか?と思いつつ、その価格が高いので、悩んでいる。然も、管理となると無理な気が・・・。日本蜜蜂は、移動性だ。従って、じっといるわけではない。女王蜂は一代で終わり、新しい女王蜂と共に巣を変わる。枇杷蜜は高価で旨いんだが。
植えっぱなしで、毎年花を咲かせるムスカリ。手間も要らず、意外と簡単に栽培できるのがいい。