枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

晴れ、曇り、雨になる。

2014年08月24日 | Weblog

 予想した雨である。河の水嵩が増えないので、先ずは安心する。然し、県北は大雨の警報が出ている。それが此処まで、押し寄せて来るには日数もかかる。このまま降り続けば、河は濁流と化す。決壊したら危ういのだが、危険に疎い。下手に移動しないことだ。

 そうなると、仕事に行けぬが、仕方がない。危険を冒してまで行くことは、命を落とすことにも成りかねない。これでも政府は原発を再稼動するという。汚染水の海への垂れ流し、沖縄の辺野古への基地増設強行。オスプレイの内地移動等、国民の納得を無視。

 政府や、首相が責任転嫁をする。資産のある者が偉いのか?権力のない、自由は存在しないのだろうか。可笑しいではないか、国民を守る、日本国憲法は、一体誰のためで、何のために成立したのか。戦争に負けたが、アメリカに対して右に倣えがおかしい。

 明日から、三連休であったが、勤務を代わって、という同僚に譲る。ちょっと予定の変更で、ゆっくりできなくなった。ニルスのふしぎな旅、少し後に回す。平日は静かで、読書にもってこいなのだ。夏休みも僅かになった。文月も今日までで、明日から葉月となる。

 文明の利器に頼り過ぎると、人間の感覚は麻痺する。勤務中でも、時間がわからないと、携帯を離せない。字がわからないと、携帯を手繰る。時計のある所まで行くのを、大儀がる。辞書を引けない。介護の仕事には、凡そ無縁のことでもあろう。気配りがない。

 何かが違うと思えるし、徐々に狂ってきているとしか思えない。体調管理をさせられている、何不自由ないと思わせ、感情も、機能も、薬で操作する。人間であることも、生きている意味さえ定かでない。食事も殆んど手づかず、虚ろな目をして座っている生物。

 認知症になりたくなかったら、自分の意思で行動しよう。原発に頼らず、多少の不便をしようとも、生活をしていくことを探ろう。何もしないことは、自由ではない。快適で便利な暮らし、年中を通じて、ほしい物が手に入ることは、却って不幸なこと。体に毒を溜める。

 美しい月。四季折々の、夜毎の月の移り変わりに、心がときめく。月下人は、何処だろうかとも・・・。

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