枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

墓参りに行く・・・

2014年08月13日 | Weblog

 本来は、古里の家で、並んだお位牌に手を合わせる。家人に土産物を手渡し、其々の息災を感謝するのだが。荒れ果てた道には、猪の通った跡、お墓に続く坂には、枯れた巨木が倒れていた。先日の雨で腐ったものらしい。道は草が刈ってはあるが・・・。

 先々月、墓掃除に来ていてよかった。とつくづく思う。家で、お茶湯を両親に上げながら、蝮を這わせないように、きつく申しておいたもの。見かけたら、捕らないと咬まれる。できれば出て来て欲しくない。子ども達と水を換え、花と菓子を供え、手を合わせる。

 今回は、虫が知らせたのか、娘に声をかけた。送り迎えがいったが、中々参れないのを誘ったのだ。嫁は仕事で、孫達は留守番をさせた。両親との想いは、娘や息子には鮮明だが、孫等には曾孫ともなり、祖先の意味は薄い。父や母を偲び、想いが溢れる。

 息子の運転する車で一緒であった。孫等にお八つをこさえていたのと、今夏の最後でもある白桃を渡す。ご飯のスイッチを押し、お墓に持って行った物を片付け、散らし寿しを作る段取りに入る。茗荷の甘酢煮を鍋で用意する。次に、鉈豆の塩茹でを作った。

 それをしている間に、沢庵の微塵切りをする。ご飯が炊けたのを飯ぼうに移し、砂糖・塩・酢を混ぜる。青紫蘇の葉を庭に取りに行き、海苔の短冊とを刻む。出来上がった寿しを皿に盛り、娘によそおい、自分も戴いて、白桃や何がしかを荷にして持たせ送った。

 帰りには、図書館で返却をし、奇貨居くべし・飛翔編と天命編を借りる。黄河編は、昨夜読破した。流星群の観測は、月が出て余り観えず、出たり入ったりで、読んだ次第。ベニシアのハーブ便りも借りる。素朴な疑問だが、我が家のドクダミ茶は、甘いんです。

 ドクダミですから、独特の臭いはありますが、それも乾燥させれば、どうということもない。枇杷葉茶で淹れるからか、甘くて美味しい。収穫した時点では、水で洗いません。これをやると腐る。従って、飲む時に洗って、ポットに入れ、花芽茶の温かいのを注ぐ。

 枇杷葉茶と言っても、我が家の場合は、その殆んどが花芽か種です。葉は、焼酎に漬けるのが大半で、葉先と軸とが枇杷湯になるのだ。寒中に採った葉は、枇杷葉茶で飲用するが、誰かに差し上げることが多い。ドクダミは、取っている時には大層臭うが。

 鉈豆は、この時期鞘を下げている。花も可憐な白と桃色で、あちこちに絡まっている。メロンは収穫を終えた、と思っていたら、小さいのがぶら下って、何とスイカが手毬大の大きさで生っている。え~!時期を過ぎた感がある。熟れるのだろうか?怪しいな。

 クリスマスローズ。春先の庭に満開になった様子。毎年、咲き乱れて、長いこと愉しませてくれる。

コメント
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