枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

処暑、晴れ間に・・・

2014年08月23日 | Weblog

 処暑 旺盛な太陽も次第に衰え、暑熱も退く、という意で、処暑と言い、天地清く、爽やかとなる。毎年、八月二十三日頃である。それにしても、自然を侮ったばかりに、甚大な被害が広がった。自然からの警告に、気づかなかった者への戒めでもある。

大雨の予報だったが、どうにか晴れていた。昨夜は、寒いので窓を閉めて眠った。今朝は、山裾にまで、霧がかかっていた。曇り空に、太陽が鈍く輝く。洗濯物が気になるが、外に干しておいた。Aさん家に寄って、水をもらって帰る。おでんをご馳走になる。

 足が痛いと言うAさんの、土踏まずを触ると、悲鳴を上げる。両手が熱を帯び、膝や足の裏に波動を当てる。暫くすると痛気持ちいい、と言い出す。途中何度も中断(電話や来客)するが、足が軽くなるまで触っていた。帰りしな、歩くのを見ると軽やかだった。

 疲れたが、心地の佳い疲労感だ。2時間余りの手当てをすると、流石に疲れる。然し、以前ほどエネルギーの放出がないよう、コントロールできている。全力疾走するのと、ウオーミングで済ますのでは、体の負担は違う。最近は、何処でも、誰にでもできる。

 予知能力、感能力というのか、心のシールドがふっと消えた時、視えてしまうことがある。一瞬のことで、残像が残ってはいるが、記憶に鮮明であるか、そうでないかは想いようだ。再び見えるのは突然のフラッシュバック。できれば起きてほしくない出来事。

 枇杷葉のお蔭をたくさん戴き、その波動を体内に籠めていると、思いがけないことに出遭う。枇杷葉には、生のエネルギーが多いので、不の世界に招かれることが少なくなった。あの日航機事故の時には、無数の手が空中に浮かんで、引き込もうとした。

 生存者が3人いたが、行きたくない!その想いを叫んだら、強烈な力に弾き飛ばされた。子ども等が見ており、あの時の顔は忘れられない。金縛りにかかっていながら、体がばらばらになりそうだった。あれから30年が経つんだなぁ。感慨深いものがある。

 春の庭。サンタ枇杷葉の様子。新芽が芽吹き、淡い薄緑の葉をそろそろと伸ばす。うららかな陽を浴びて。

 

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