漸く晴れた。昨夜には、土砂降りで雷も鳴っていた。花火が終り、帰宅してのこと、天が裂けたかと思う、激しい雨音だった。寒いので網戸を閉めて眠った。残業で遅くなったこともあって、書きかけのブログを済ませ、疲れ果てて布団に横になる。雨音が田園に聴こえた。
庭の百日紅が咲いた。昨年は、1枝も咲かなかった。その前には、枝中に花を付けて、咲き乱れていた。淡い桃色の木だ。百日紅は、何れも¥190程度の苗を買い、数年経って咲き始めたもの。駐車場の紫が早く、次いで白が咲く。白枇杷の所の紫と赤、南の淡い桃だ。
夏から秋へと移る中で、庭に花がないのは淋しく、小さな苗を求めて植えた。この花の風に揺れる様も、簪を挿した娘が歩いているようで、ちょっとした時間旅行ができる。季節外れの紫陽花も咲いており、花にとっては、様々な条件が重なる。枇杷葉の葉が繁っている。
夏休みも後半に差し掛かる。子どもにとっての休みは、親にすれば、朝・昼・夕食の献立と、健康状態や行動範囲の把握もあろう。普段は、学校に行っており、地域の親睦は浅い。事故は何処でも起きる。まさか!という場所がある。文明の利器に、振り回されないこと。
奇貨居くべし・天命編。秦の時代を斬新に築こうとした、呂不葦の壮大な構想に打たれた。始皇帝の時代の幕開けでもあった。人間の資質が問われる生き方とは、何だろう。物語を通して視える、贅沢で幸せな時間でもある。歴史は、生き方を問われる学問に等しい。
明日は、休みなのだが、図書館も休館日。文庫の三国志を読むか、ニルスのふしぎな旅に入るか。先日は、長靴をはいたねこの、独特の絵に魅了された。ねこと言えど、その気転さと、大胆さには舌を巻く。然し、ねこの行いを実行して、その後の生活を努力すること。
川柳に、待っている王子様が方向オンチなので、自分のところには来ない。というのがあったが、王子様のタイプも色んなのが居る。きっと皆其々に、王子様に回り逢っているのだ。月日と共に、努力を怠った結果に依っては異なる。隣の芝生は、やはり青く見えるもの。
林檎の花が咲いた!白でもなく、桃色でもない、淡い色に見惚れる。娘は、この花になりたいという歌が好き。