枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

考え方の相違・・・

2014年08月29日 | Weblog

 他人の物を、黙って飲む。器に入れて出されれば、飲むのもいいだろう。でも不在であったり、その場に居ない時、勝手に黙って飲めるか?其処の感覚が理解できない。飲むな、と言うのではないが、そこは一声かけるべきだろう。お礼も言わず、当たり前の態度では。

 先日、賞味期限の切れた物を戴いた時、同じ物は返さなかったけれど、本人に謝って代わりを差し出した。捨てるにはもったいなく、腐ってもいなかったからだ。最近の考え方には、日付を見ては捨てル事が多い。年代を感じて悲しくなる。青かびは薬と食べたものだ。

 捨てて好いのは、自分の負担だろう。或いは、欲かも知れない。下手に拘っているよりは、素早く判断して他人に譲ることも必要。またそれで、福が舞い込むこともあるし、変なことから逃れられることもあり得る。そのバランスの取り方に依って、人生が変わることもある。

 奇貨居くべし。歴史小説は、その時代に往くことはできないが、共感したり得るものが多い。何に於いても学べることは愉しい。基より、作家の力量にもよる。考え方が違うという事は、視点も異なる。時代の人物像を描き切る作業には、冷静な筆量もあろう。読後感が佳。

 ケネディの長い日を少しづつ読んでいる。第二次世界大戦の頃の、若きケネディである。凶弾に倒れなかったら、どんな老後を送っているのか。世界が変わったことは否めないが、それも運命でもあったのか?魔力を持つアーサー王の剣は、何処を彷徨っているのか。

 体重が体にかかる比重は、どの位で膝や腰に負担をかけるか?身長に対する体重は、長い間に悪化し、膝の痛みに追い討ちをかける。痩せているからと安心もできない。それはそれで体力で悪化する。年齢と共に、日々動かなくなっていく。辛抱か諦めてしまう。

 今朝の新聞の投稿に、膝の痛みを歩いて治す、とあった。そういう方法もあるんだなぁ、と感心する。個人的には動くのは厭だし、痛みを我慢してというのも。枇杷葉の葉で、軽減できることを知っているから、不思議でならない。枇杷葉があれば、手軽にできるのにね。

 今年の弥生に見つけた、小さな枇杷の実。悲しくなるくらい、結実しなかった。それでも、生ってくれたことがありがたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする