ベッド自体が、上に乗っている者を感知して、どう動けば体の負担が少ないか、褥瘡にはならないか、本人の考えることに、素早く反応する機能を持つ。おしめを換える時には、臀部を持ち上げ浮かす。ほんの少し上がるだけで、介護は数段やり易い。
神経を繋げることに依って、体の機能が回復し、歩け、話せ、摂取できる。期限限定であっても、思う存分に生きられれば満足しよう。原発再稼動に依存する前に、人類の挑戦をしてみるべきだろう。介護の内容も、汚くて、しんどいから解放されよう。
何故、できないのだろうか?否、造ろうとしないからだ。人間には、様々なタイプが居り、1人として同じ者は居ない。ロボットなら大量生産にできるが、人間はそうはいかない。況してや、母体の内で10ケ月10日を過ごして、産声を上げ誕生するのだ。
近未来では、自然分娩は行われず、カプセルの中で、栄養液を注入されて発育される。コンピューターの弾き出す数値に依って生命数が決められる。性別も均等に分けられる。専門分野に区切られ、スクールゾーンを遮断する。知識だけを詰め込む。
竹宮惠子氏の、ジルべスターの星からを思い出す。或いは、光瀬龍氏の、アンドロメダストーリー。デューン・砂の惑星も然りだ。科学の発展には必ず、危険も併せ持つもの。いつの時代に執っても、権力者が力を広げる。だが、自然は消えているのか。
見捨てられた場所、忘れられた所に、小さな命は生まれて来る。膨大な時間は掛かるかも知れないが、命の芽吹きは繰り返されるもの。資源は尽きることはあっても、命の再生はできないのだ。明日の身はどうなっているか、決して保障はできない。
枇杷葉にしろ、ドクダミにしても、その生命力の旺盛さは比較にならない。医学や科学がどんなに発展しても、そのエネルギーには及ばない。人類を援け、共に歩むことができる。自然からの力の恩恵を、侮ってはならない。自然は地球を守ってくれる。
菜の花畑に入り日薄れ、見渡す山の端霞深し。春風そよ吹く空を観れば、夕月かかりて匂い淡し。田中の・・・朧月夜。