季節の移ろいを、いち早く察し、風向きを感じ、自分の成すべきことを知る。ということには、他人の気づかないところでの、努力を必要としてくる。何気ない動作や言葉に心を留め、症状とは別の深層に思い至りたいもの。そういったことには人の資質が問われる。
できないことには、自分からしようとしない、詰りは努力をしないことと、表面だけの取り繕いがある。何処に重きを置くかがあり、何をするべきかを悟ることにも通じていく。資格の上での納得もあれば、年齢を重ねていきわかることもある。つまりは、応えは無限だ。
犯罪者の心理的なことに、必ず、犯行現場に立ち返るという。尤も、犯人を追う刑事の執念にも依るが、完全犯罪を企む者にとって、迷宮入りに自惚れが生じ、犯行現場に惹き付けられ、向かうものらしい。然し、数日であるか何十年もが経つかは、事件の内容だ。
そうしてみると、三億円事件の犯人は、際立つ恰好をしながら、当たり前の日常を演じ、まんまと逃げ遂せた。時間を上手く使い、心理状態を巧みに利用し、これほど鮮やかに謎を生じさせ、霧の中に隠れている。だが、殺人はどんな理由があろうと許せない犯罪。
或いは亦、戦争と言う名の下に、大勢の命が奪われることを、決して許してはならない。政治は大人の見解がしていくもので、自分勝手な言動が、情勢に依ってころころと転じてはならないのだ。其処に至るまでは、己のことよりも、国民の生命の危険を哀うこと。
消費財を上げるのも、年金を減らすのも、止むを得ないと思うことにはできる。然し、福島第一原発事故を未決のままで、外国に原発を輸出したり、核のゴミを野晒しにしていたりは違う。人命優先の、地球環境を考えた措置を施行してもらいたい。責任転嫁は否。
地元の花火を観ながら、焼夷弾の炸裂時は、こんなものではなかったこと。広島や長崎に、原爆投下された意義には、純粋に怒りが炸裂する。戦地に否応無く往かされた者には、後戻りできない哀しみが、残った者に永く続く。戦争とは、如何なる理由でも否。
今年の枇杷葉。ほんとうに少ない結実だった。その中で、白枇杷は意外と多かった。味も濃厚で、1ヶ月保存できた。