つい数日前に図書館までの途中の桜は、固い蕾であった。連日の曇りと雨の日々が、潤いをもたらしたものか昨日は一気に満開となっているではないか。お弁当は作ってないが、道路脇に車を停めてのデジカメ撮影。気温は16℃と低いが、早春を思えば暖かさに感謝と心も弾む。川面も緩んだ気配がして、水鳥ものんびりと。
昨夜からの雨に、エリノアの白椿もひっそりと佇む。庭の海棠が咲き始め、球根類も勢いがよく姫金魚草は明日かと思わせる。芍薬の芽も、十薬や木通が思いっきり這ってきているのもうれしい。木通の蔓を天麩羅にするのは、この時期でないと皺くなる。木通は耳鼻咽喉に効くので、花粉症状や扁桃腺炎にも実を焼酎に漬。
薬草も自然栽培に徹しないと、その効果は怪しい。木通を持って来てくれた友人は、単に食べる目的でのことだが天啓に焼酎漬けにしておいた。痰の絡みも失せるので、風邪の引き初めを嗽にしている。仕事を辞める前からだが、鈴木健二さんの著作にあった計画を実行だ。気づいたのは40代であったから、余裕で出来たもの。
年齢を重ねての中で、身体が思うに任せなくなるのは至極当たり前の現象。それを気力や体力での補いで、実行するのは至難の技。だが事前に用意しての備えなら、多少の時間差はあれどもブレーキが利くかも?と思えた。枇杷葉での試行錯誤も、悠に20年を経過してのこと辛抱の連続であった。耐えるにも絶えずに堪え。
従って3年前に仕事を辞めると決めてからは、保険証を作らずで一切医者には罹らない。保険料も年金だけでは払えません。食費も光熱費も極力抑え、知恵と工夫を愉しみながらの旧暦暮らしが身体には合っている。何しろ朔日で始まるので、心身への影響は極小に留り清貧の暮らしの日々を送れる。これが何よりも有難いわ。
身近にある命を感謝と祈りで戴き、一日を生かされている心根には西方浄土への路。数字が現れるのには、遭遇と導きの賜物と有難いもの。連載の終える日も近い。自分を高め、信じることに精進するのみだ。己の可能なことへの歩みが後に続く者等に、幸い也と祈り於くが日にちは限られても来ていると知る。神・森羅万象。
昨夜からの雨に、エリノアの白椿もひっそりと佇む。庭の海棠が咲き始め、球根類も勢いがよく姫金魚草は明日かと思わせる。芍薬の芽も、十薬や木通が思いっきり這ってきているのもうれしい。木通の蔓を天麩羅にするのは、この時期でないと皺くなる。木通は耳鼻咽喉に効くので、花粉症状や扁桃腺炎にも実を焼酎に漬。
薬草も自然栽培に徹しないと、その効果は怪しい。木通を持って来てくれた友人は、単に食べる目的でのことだが天啓に焼酎漬けにしておいた。痰の絡みも失せるので、風邪の引き初めを嗽にしている。仕事を辞める前からだが、鈴木健二さんの著作にあった計画を実行だ。気づいたのは40代であったから、余裕で出来たもの。
年齢を重ねての中で、身体が思うに任せなくなるのは至極当たり前の現象。それを気力や体力での補いで、実行するのは至難の技。だが事前に用意しての備えなら、多少の時間差はあれどもブレーキが利くかも?と思えた。枇杷葉での試行錯誤も、悠に20年を経過してのこと辛抱の連続であった。耐えるにも絶えずに堪え。
従って3年前に仕事を辞めると決めてからは、保険証を作らずで一切医者には罹らない。保険料も年金だけでは払えません。食費も光熱費も極力抑え、知恵と工夫を愉しみながらの旧暦暮らしが身体には合っている。何しろ朔日で始まるので、心身への影響は極小に留り清貧の暮らしの日々を送れる。これが何よりも有難いわ。
身近にある命を感謝と祈りで戴き、一日を生かされている心根には西方浄土への路。数字が現れるのには、遭遇と導きの賜物と有難いもの。連載の終える日も近い。自分を高め、信じることに精進するのみだ。己の可能なことへの歩みが後に続く者等に、幸い也と祈り於くが日にちは限られても来ていると知る。神・森羅万象。