早出希望があり、夕方の帰宅を断念していた。そこに更なる残業の指示・・・残れないとは言えず、止む無く勤務。いやいや、若い時には、何ともなかった、高々1時間の残業が、最近は酷く堪える。できれば勘弁願いたいもの、と思うのだ。
介護の仕事は、食事・入浴・排泄介助が主で、危険のない、それでいて自由のある見守りを行う。然し、実際には難しく、対応に追われる有り様。介護の自分が動けなく、限度を感じる。仕事に選んだ以上は、とも思うが、時間に縛られる。
昔は、これらを全て、嫁という立場がしていたのだ。よくまあ、重労働の世話ができたもの、と感心してしまう。資格も何もあったものではない、口汚く罵られても、しなければならなかったことを思えば、給料をもらえることは、ありがたいのか。
家族ではないから、親身になる必要も無く、淡々と業務をこなせば済むこと。そうだろうか?食器は綺麗に洗い、台所はピカピカにし、洗濯物は皺を伸ばし、掃除の行き届いた場所で生活してもらいたい。料理も、作るなら美味しい物を提供。
自分にできることは何?得意なことは少ないけど、普段の姿を貫きたいもの。飾らないことも大切な気がする。豊かな暮らしになったのに、心は貧しくなっていく。親を看取る根本は、産んでもらったことへの感謝だろう。老いていくのは同じだ。
帰宅時には、丁度雨が上がって、星が瞬いていた。木星も輝いている。家の近くまで帰ったら金星も観え、宇宙は満天の星。雨上がりの、澄んだ宇宙には、冬の星座も残っている。月は欠けており未だ昇ってこない。宇宙も日々変化がある。
きらん草が、いつの間にか育っていた。母の死後、知らぬ間に繁殖し始めた。それまでは、植えても消えていた。
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