枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

疲れたかなぁ・・・

2012年09月20日 | Weblog

 夏の暑さを乗り切った。と思っていたが、冷房に体は正直である。やはり、夏は暑いのが好い。冷房は必要ない。家屋の風通しをよくし、コンクリートでなく土にしておくのがいい。アスファルトもいけない。暑さがまとい付く。家の周りには樹を植え、野菜を作ろう。

 我が家には、薬草を植えてある。ドクダミも、夏枯草も、神輿草も、夏には一面に花を咲かせる。その可憐さに暑さを忘れる。朝顔に夕顔、鉈豆。樹立する枇杷葉に風が渡る。夏は暑い、という当たり前のことに気づこう。原発は要らない!

 どんなに便利か知れないが、核のゴミを出すことに、懸念する。それを未来に引き継いでいけるのか?もんじゅの危険性を知っていながら、或いは膨大な予算を注ぎ込んで、役に立つ方向にはいかない。菩薩様への冒瀆である。

 戦後の日本は、主体性を失った。徳川幕府が鎖国していたのには、時代遅れでなく、日本の文化を守りたかったのかも。資源など何もない日本であったが、水も森も豊かにあり、技術では負けをとらなかった。近代化と言うが、日本の島の沈没。

 津波が来るから、と高台に家を建て、山を切り開く。平地にすれば同じことだ。それよりも、建物自体が船に換わり、それ自体で生活できるシステムが必要。南海トラフ地震が未定であるだけに、間に合うかは別として。原発はいらないのだ。

 日本の島自体が動く。ひょっこりひょうたん島になればいいな。と思ったりする。だが、そこでも原発はいらない。他国に売りつけるのもいけない。放射線のない地球に、人々の心が繋がる。それを断ち切ろうとする者は、星の王子さまを読んでほしい。

 枇杷苗。釣鐘草は、種が零れて発芽したもの。

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へんだなぁ・・・

2012年09月19日 | Weblog

 昨日、パソコンの電源を入れて考え事をし、OCNへの接続を忘れていたら、自動的につながる。元々、自動接続にしてあるのが、何故か手動でないとできないでいる。これがおかしいのだ。自動設定をクリックしているのに、切断される。

 腹立たしい。パソコンの機能に問題があるのか?それにしても、誰かがコントロールしているとしか思えない。マザーコンピュータであろうか。然し、ロボット三原則にはない。ロボットは、正しい判断ができなくては壊れる。だからおかしいのである。

 我が家の上、と云うか、天へ通じているため、電磁波が飛び交っている。この領域だけがそうらしい。朔日に塩を換えるのも、そういった事情からだ。更に空気の感じが替わる。科学的な説明は不可能。自然の領域を調べられるものでもない。

 急変と言うか、異変時は空気でわかる。昨日の体調異変も、今日が休みになったのも、神の意思であろう。何となくではあるが、そういった事象が視える。脳裏に写るのである。おやっと思う。ははぁ、なるほど。そうか・・・。妙に納得する。

 久々の好天気に洗濯をし、布団を干す。晴々とした想いだ。枇杷葉の傾きを直し、鉢を移動させる。来月には、鉢物を終う算段をする。出窓の掃除はしているが、配置を考えないと、増えていくばかり。管理しているのか、されているのか恐い。

 生協の価格が、いつの間にか上がっている。消費税を上げる前に、品物の値段を、チラシ作成の過程で擦りかえている。その上で、安くしたようにみせかける。まあ注文しないに限る。これであれば、何処かのスーパーに行ってもある。行かないが・・・。

 安心で、安全で、無農薬の商品。これからは庭を耕すことか。狭い団地暮らしだが、遣り方次第かもしれない。農薬漬けで無い物は、作るしかないのだ。自然のままであれば、空気も美味しいと言うのに。酸素を欠乏させては、暮らしは行き詰る。

 今年の白枇杷。昨年は3粒だったが、今年は9粒生った。赤枇杷より、少しだけ色が薄い。味は濃厚で、甘味がたっぷりだ。

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体調不良・・・

2012年09月18日 | Weblog

 明け方、4時に目覚め、厭な予感がした。的中。何度もトイレに通う。その時点で、休むことも考えたが、早出なので取敢えず出勤する。気持ち悪い事、夥しき。連休中に台風が来て、思わぬ冷えになったのだ。涼しかったのを、着込めば暑いで、過ごしていた。

 鼻水も出る。風邪の初期だ。腰痛予防に枇杷葉を貼り、左前のお腹には、懐炉をつけた。ここの具合が、なんともし難い。午前中、何時帰ろうか・・・と思いながら、何とか仕事をする。12時間経過した時点で、やっと人心地つく。帰宅して、蒟蒻を温めた。

 先日来、人手不足であり、どうしてもトイレに行けないこともあった。我慢の限度を越えていたらしい。病院に行って、抗生物質を飲めば、直に良くなりはするが、痒かったり、発疹が出るので困る。薬害であり、副作用だ。自然治癒能力は時間がかかる。

 病院が隣にあるのだが、どうも二の足を踏む。何処の医者も厭である。如いて言えば、赤ひげのような人物なら納得。薬ばかりは要らない。まあ安静にして、養生すれば治る。至極当たり前のことである。体調不良の原因は、食糧事情でもある。

 体は、頭寒足熱が基本。それなのに、冷えていることに疎くなっていた。夏も過ぎ、秋である。気温もずい分低くなった。体の自己コントロールを怠っていた。湯たんぽがそろそろ要る季節になっていたのだ。つい、凌ぎやすい気温に油断していた。

 帰宅して、やれやれとゆったりしていたら、NHKが受信料を払え。と来た。いかつい兄さん二人である。何がしかの暴力団紛いである。勤務先で飽きるほど観ているのに、家では点けない。緊急時の放送でさえ、電源を抜いているのにだ。

 最近のNHKの職員は、法律をかざし、言葉こそ丁寧には云うが、腹の中は不気味さが漂う。金持ちにはへいこらし、庶民の無抵抗な者を圧迫する。四角四面の物言いで、仏滅に来るとは何事か。老人週間というに、年寄りを莫迦にしておる。

 今回の台風で、枇杷葉が倒れ、鉢ごとひっくり返った。土を入れ、植えつけたがさて?

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深夜の客・・・

2012年09月17日 | Weblog

 台風の余波で、朝起きると庭の様子が変わっていた。鉢が落ち壊れ、枇杷葉が激しく傾いて、視界が開けていたのだ。ありゃりゃ・・・。風が治まるまでは下手にいらわぬのがいい。取敢えず、苗を鉢に入れ、地表に置き、観葉植物は室内に入れる。

 どのみち球根の植え付けをするので、土を変えておく。サンタ枇杷は、大きな鉢植えにしているが、きっと根が、地下にまで達していなかったのだ。かといって、今は動かせない。風に揺られているくらいがいいかも。と、様子を見ることにした。

 パソコンの調子が悪い。隣に、光フレッツにするのに、承諾書にサインをくれ。と来たが、ご迷惑はかけませんと言いつつ多いに迷惑。これは陰謀かもしれない。我が家はモデム使用である。格安のプランに契約したが、新しいのに乗換えを強いられているよう。

 自分のブログの更新と、友人のブログ等、ちまちまと覗くくらいで、しょっちゅう使用はない。高いお金を出しての業務用にはなく、さりとてOCNに繋がらないのは迷惑である。先日には、機能向上のセットもつけた。これが陰謀でなくて何なのだ。

 今年の枇杷葉の出来は、綺麗な緑の葉が無残にレースになっている。頭が三角の体調2cm位の緑の虫を捕獲したが、鋭い口があった。自然には、生きていくモノが多い。これらもおなじであろう。農薬をかけたくないので、当然の結果である。

 鉈豆の生り方に、ちょっとした発見があった。肥沃だと聞いてはいたが、今年は肥をしなかった。水遣りだけでの成果に、何等劣ることはなくて、由りたくさん生った。現代農業にあった、鶏糞の醗酵に止めたもの。夏場には、メタンガスを出すと言う件だ。

 鉈豆の木は弱り、黄色くなる葉が落ち、成果は然程ではなかった昨年までが、今年は青々として生り続けている。収穫もこれだけ差があるとは。肥料を買わないでよかったと安堵した。安易な考えで、ろくに確かめもせずであったのを反省した。

 我が家のブルーベリーの収穫。孫が喜んで頬張っていた。

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晴天の霹靂?

2012年09月16日 | Weblog

 天気である。台風を心配していたが、沖縄に居座っている。墓掃除に出かけた。墓に着いて間なしに雨が降り出し、草を取る間止まない。華を差し替えて、帰ろうとしたらピタリと止んだ。これは何か、親がご先祖さまが、謂わしめているのだろうか。

 時雨にしては、一気に降ったものだ。水溜りができている。帰り際、近所の小母さんと話す。達者でな。息災に、無理はせぬよう。母が元気で居れば、門口に佇んでにこにこしていようか。後ろ髪を惹かれる想いで、古里を後にした。また行くよ。

 今朝、リエさんから携帯に着信があった。胸騒ぎがして電話をかける。父上の入院らしい。予感がしていたから、然程驚きはしなかったものの、家での看取りは、家族の心労が増えるから心配する。かと言って訪ねると、負担が増す。

 今年は特に、桃が甘かったので、美味しいおいしいと食べてくれたそう。せめてのこと、それくらいしかできない。枇杷葉も、いいのが採れる時期になったよ。りささんのもサンタさんのも、今年は大きくなっているよ。あの小さいのはリエさんのにしよう。

 白枇杷がとても勢いが好い。直ぐ傍の赤枇杷も枝を切って、新芽が伸びた。今年は、たくさんの葉がきれいだ。旧暦の新年になったら、枇杷葉茶にして送るね。今日はこれから、夏枯草の刈り取りをしよう。枇杷葉の移し変えもした。新月ですることが多い。

 先日、カレーを作った。材料は、玉葱・じゃが芋・鉈豆・茄子・大蒜・干し椎茸。隠し味で濃厚にして、昼食を兼ねて持って行く。ちょっと多めに持って行ったので、二人ほどにあげた。好評で、うれしかった。鉈豆は我が家の物、無農薬です。

 紫陽花。梅雨時の楽しみ。群生もいいが、雨に打たれる様には、少ないのもいい。

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文月も今日まで

2012年09月15日 | Weblog

 明日からは新月である。依って、文月も今日まで。暑く、長かった夏だった。旧暦のカレンダーには、ちゃんと記載されているが、季節感を思わない人等には、意味をなさない。若い人だけではないのだ。春夏秋冬のことも知らないで、天地明察では厭きれるばかり。

 パソコンの不具合が発生している。雷のせいかも、地震の影響かも、事実は不明である。それともNTTの仕業か?こちらが光ファイバーに乗り換えないので、切断をするのかも。真意は定かではない。このパソコンも、古くなったから、とは思うが、個人の使用につき、障りはない。

 連休になったので、息子と墓掃除に行くこととした。台風が気になるが、行ってみてからだ。まさか墓まで飛びはしまい。兄も妹も、掃除はしない。信じる気持ちは個人の自由だが、其処に眠る魂を思えば、綺麗にしておきたい。況してや、ご先祖である。

 試験勉強にも頭が痛い。暗記しなければ、わからないことばかりで悩む。とてもことに受かりそうに無い。力不足を痛感した。努力の信念でやるしかないが、老化して細胞の消えていく状態が恨めしいもの。と言いつつ、教科書を開く。

 足元が涼しい。そこで思い出したのが、湯たんぽである。某新聞の日曜版に、ドイツ製の物は、温かさが持続され、とても使い心地がいいとあった。東京まで行かなくては手に入らないのか。一体何処に売っているのか?新聞社に聞くのが速いか。

 湯たんぽの愛好家としては、捨て難く脳裏に残っている。YHさんのコラムは毎週ずっこける。時には、え~っ、そんなことも気づかなかったの。と呆れることも。できれば、旧暦を勉強して、と言いたくもなる。だが、湯たんぽにはびっくりした。値段ではなく、ぐっすり眠りたい。

 今年、買ったのだが、名まえがわからなくなった。ちょっと奇妙な花です。

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秋、近づく

2012年09月14日 | Weblog

 そろそろ夏も終り、秋の気配に。風も過ごし易く、赤蜻蛉の姿も見つけた。新月が近づいている時期に、台風が接近している。大潮である。旧暦のカレンダーには、或いは暦には、潮の満干潮と、月との関係が記してある。これらを知っていれば、判断の基準にもなろう。

 古来の人は、月の満ち欠けを大切にし、幻を担いだ。然し、満更迷信ばかりとも云えぬ。太陽に、月に、地球には、お互いを必要とする因果関係が含まれ、軌道を廻っていく間に、季節の移ろいや気温の変化がもたらされた。これは、地球という惑星の宿命かもしれぬ。

 人間は、自分の都合勝手しか考えず、自然と共有するだけでなく、地下に眠る資源を掘り起こした。其処には金銀財宝があった。或いは鉱物が隠されていた。原発に依って、人々の暮らしが豊かになったかに見えたが、事故の悲惨さは先が見えない。

 尤も、紙幣の流通が、石器であったなら、とても重いし、運ぶ手間も掛かるから、文明や科学は進んではいないだろう。頭脳明晰な人の考えることは、私のような者には皆目見当もつかないが、便利さが必ず、人間を幸せにするとは限らない。

 物々交換なら、必要な物だけで済むが、紙幣なら余分な物まで買う。衣類も、着もしないのに、箪笥に入れたままだ。最近は、出かけたりする度に、着て行くことにしている。不慮の事故があるかもしれぬ。きちんとした格好で死にたい。

 新しく買うことは殆んど無い。何十年前のでも、着られればいい。娘など、デザインが古いから。と置いて行く。何処も破れていない。少々派手でも着ている。還暦を済ませば、怖いものは無い。もったいなくて捨てられない。母の形見も同じである。

 緑のミニばら。咲き終わったか、と思っていると、蕾をつける。真冬近くまで咲く。

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借りた物は返す・・・

2012年09月13日 | Weblog

 借用書が無くても、貸してくれ。と言ったなら、いかなる事があっても返す。況してや、自分で必ず返すから。と言い放ったのであれば、その言葉は天が聴いていよう。神を裏切ると、己を滅ぼす。先ず好い事にはならない。天も、神も、同じである。

 また反対に、本人の承諾が無いのに、勝手に品物を送りつけたり、要らないと言うのを無理に施工して、金を払えと言うのは、如何なものか。むろんのこと、見積書も無い。こういうのは嫌がらせと云うのではないか。性質が悪い。

 リエさんの父上さまから、桃のお礼状をいただいた。美味しかったことが、伝わってくる文字で、目頭が篤くなった。桃というか果物は、あまりお好きでないようにも聴いていたので、こんなに喜んでくださるとは、感激してしまう。

 私が作る桃ではないので、どんな状態での出荷なのかは不明で、その様子に杞憂もある。これも神さまがご存知のことではあるが。あからさまに言われるより、言葉を選んでのことには、きっと相手を想う気持ちがあるのだ。

 献立も、作る人に依って違う。私は料理が下手だが、どんな物も感謝して、心を込めて料理する。同時に、魔法の言葉も忘れない。素材の旨さを引き出し、隠し味をつけ、一口でも食べてくれるように、おいしくな~れ。と呟く。

 生きることは辛かったり、哀しかったりする。生きていて良かったと思えるのは、普通の人性を送れた人ではない。かといって波乱万丈でもない。生死を分ける偶然の一瞬に、苦しみ悩み、生きなければと決断する時かもしれない。

 新月が近い。そこに台風が接近している。何だか嫌な予感がしないでもない。大飯原発が気にかかる。蜂には、本能で危険がわかるのかも。勤務先に落雷があった時、原発が建ってなくてよかった。と心底思った。地響きがした。暫くは動けなかった。

 白いクリスマスローズ。春中たくさんの花を咲かせた。

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黄金桃

2012年09月12日 | Weblog

 金色の桃です。一般的なのが、缶詰です。然し、中国産のが殆んどで、国産は珍しい。生の黄桃は、輝く金色の桃で、白桃よりも濃厚な味です。枇杷とよく似ている。もちろん大きさは違う。軟式ボール大の黄金桃と卓球の玉との差です。

 農家まで買いに行き、外れをたくさん頂いた。近所にお裾分けをし、息子の所にも。勤務先にも持って行こう。食べてもらいたい人は、居なかったり、他に移ったりしているのが淋しいけれど。今日中に食べて、というのもあって剥いた。芳香が部屋中に漂う。

 リエさんは、白桃よりも黄桃が好きらしい。まあ、どちらも捨て難い。夏時、手に入る限りは贈ります。農家直送なので、味が違いますから、美味しいでしょ?大きさも片手に乗り切らないでしょう。冷蔵庫でなく、常温で置いていてね。

 葡萄もあるよ。至る所で、自然の恵みがもらえます。思いも掛けない方からもらって、びっくりしたり、甘くて美味しいのに感激です。今年のように、日中暑く、朝夕(夜間)涼しい気候には、野菜も果物も味がいいのです。

 枇杷葉の透かしになった葉を外す。虫が卵を産みつけているのか。葉の中央が膨らんでいる。花芽のできる形だ。今年は、あちこち花芽がつきそうに思える。実を結ぶまでには至らないことも多いが、健気な様子に胸が篤くなる。

 赤枇杷の実と、ブルーベリーです。とても甘く美味しいのだが、生産的には追いつかない。

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飛び石連休・・・

2012年09月11日 | Weblog

 勤務に行ってみれば、予期してはいたが、利用者になって過ごす日と言う。何の準備も無しの実践に、びくつく。思ったことを、どんな小さなことでもいいから。というレーポートを、頭がぐちゃぐちゃになりながら書く。然し、何もせず、狭い空間で居ることは、とても疲れる。

 可能なら、空気圧を利用した移動手段ができないものか。体をやさしく包みこみ、動こうとする方向へのバランスを取る。或いは、重力の関係で、空気が凹んだり、被さったりすれば、転倒することもなしに、自力で動けるではないか。

 それには、自分でしたい思いがなければならないが、そういう小さな思いもあれば、生きることに繋がるのではないか。と思う。動けないこと、自分でできない事は苦痛だ。住み慣れた家で、できるのが望ましいが、止む無く施設に行ってもせめてとも思う。

 人間の尊厳と言うが、排泄を自力でできることは、生きようとする希望だ。できれば手伝わないでほしい。トイレは自分でしたい。その想いが強い。況してや、紙ではなく、布がいい。トイレこそ、いやトイレだけは、世話になどなりたくない。

 薬は、必要かも知れぬが、できれば飲みたくない。歳を経れば、身体共に衰えていくのが、当たり前である。生き永らえて、ベッドの括りつけられて、何がいいことがあろう。生きたいように往き、死にたくなったら死ねるのが理想。

 願わくば献体をし、使える部品は、必要な人に譲りたい。角膜も、腎臓、膵臓、心臓。それで誰かの命が永らえるのなら、どうぞ。いつ何時、事故に遭うかも知れぬし、不測の事態が起きるかも。肉体は仮の住まい。魂はあげられません。

 枇杷葉茶を飲み始めて、実に奇妙な体験をする。白昼夢というか、そういった幻覚めいた経験を、いくら説明しても、わかることはないだろう。でも、視える。わかるんだ。科学的な立証はできないが、肌に伝わってくるのが。

 今年の我が家の薔薇。いつの日か、青い薔薇の咲くことを夢見て。

 

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