枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

曇り、にわか雨・・・

2013年10月11日 | Weblog

 どうにも蒸せる。昨夜は、ダウンケットだけで充分の気温だった。寒がりの者が言うのだから、暑がりには相当だろう。今朝は、暑くて寝付かれなかった分、ゆっくり起きた。休みをいいことにだらだらする。庭木の剪定も気になる。植え替えや挿し木もしておく。

 サンタ枇杷葉には、花芽がたくさん見える。りささんのは未だない。山女の種を鉢に入れる。根切り虫予防だ。上手くいけば芽が出る。クリスマスローズの芽が出ているので、移動した。夏の暑さに消えたのもある。今年、新たに買うかな。地植にするかな?

 枝豆が、思いの他生っていて、塩茹でにする。次回は、黒豆もしよう。根槐菌の活躍が愉しみ。それにしても、ドクダミが繁殖するのにはびっくり。何処といって場所を選ばない。増殖力が凄いので、取っても直ぐに芽を出す。根槐を使うので冬が待ち遠しい。

 ocnのポイントが溜まって、交換する物もないので、料金の方へ移行した。何たらと説明していたが、めんどくさい手続きはいい。自動的に変わるよう電話で頼む。小まめにチェックするにも、後回しになって、ポイント消滅が起きる。高齢になると尚更である。

 役場から、白蟻の修理見積を取るのに、写真を撮ってもらう。大工さんに依頼するのも、こう暑くては床下には潜れまい。中々、日にちが合わなくて難儀をしたし、担当の急死でもたついていた。今後は、涼しくなってから頼むとしよう。夏の後始末に追われている。

 枇杷葉の剪定は、そろそろしてもいいが、できれば花芽が咲いてしたい。伐った葉はともかく、花芽をお茶にしたいのだ。サンタさんは、夏バテに効果が大きいと言う。りささんは、花粉症に効くとお礼を言う。まあ、個人差もありますから、自分に合った方法で。

 近くの薔薇園で。この愛らしさは実に可憐。でも、薔薇は薔薇。棘はありますね。我が家のも、この季節、真紅の薔薇、淡い桃色、白等の花が咲く。

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暑さ、留まる

2013年10月10日 | Weblog

 初秋には、秋風も吹き、清々しい気分であったが、台風の回数も増え、蒸し暑さが続く。夏の名残とも云い難く、汗をかいている。枇杷葉は、着々と苞を膨らませ、花芽の咲く用意をしている。たくさんの苞が見える。リエさんのがどうかしら?

 これで蜜蜂が来てくれれば、とてもありがたいのだが、自然の法則には不思議さもあるから、強ちどうとも言えない。午前中を休んで、買い物や用事を済ませる。役場に行かなければならなかった。面倒ではあるが、代理では更にややこしい。

 雲が多かったので、布団干しは止めた。庭の、蜜柑かオレンジかの葉がない。揚羽蝶の幼虫かも、と見たが何処に行ったか。紫陽花が2輪咲き誇っている。桜も、青空市への県道に2本咲いている。例年咲くが、今年は豪華だ。冬の桜と言う。

 青空市には、鉈豆に山女があり、秋の牛蒡もあった。葱も少々買う。帰りに、燃料を入れる。コンビニを通過して、支払い書を忘れたことに気づく。炬燵布団があるので、明日にしよう。自宅で洗おうとしたが、重く大き過ぎて手に余ったのだ。

 福島第一原発で、人為的なミスから、汚染水が漏れたらしい。何処を、何をコントロールしての話か、憤りさえ感じる。自分のことではないから、安請け合いができるのだ。とても一国のトップとは思えない。世界を破滅に追い込んでいる。

 菅さんは、あかん、と辞めさせられたが、短期間で仕事がこなせる者の方が怖い。借金まみれの国の財源など、無いに等しい。国民から税金を搾り取る前に、国会議員は無償で働け。それだけの価値のある仕事をしたら、支払えば好い。

 自民党政権が、戦後を牛耳っていたから、今の世の中になったのだ。庶民の暮らしには見向きもせず、私利私欲に走り、遊び呆けた結果ではないか。そのつけを自分たちで払わず、生活が貧窮する庶民に背負わすとは、言語道断である。

 庭の東側から西を望む。右手にはサンタ枇杷葉。中にりささん枇杷葉と、左奥に長崎茂木がある。

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日々是雑記

2013年10月09日 | Weblog

 還暦を過ぎると、心急くものがある。友人は、精々5人まで。できれば、お足はあった方がよい。一度は、湯水の如き使ってみたい思いもあるが、何故か避けて通る。従って、あちこちには出かけられない。近辺をうろうろするばかり。

 日々の暮らしの中で、活字がなくてはイライラする。新聞は、出来れば朝、眼を通す。仕事のことも含めて、その情報源からのヒントが多い。鎌田実Drの連載が載っており、Eテレを点ける。自分の何処が違っているのか、疑問を持つ。

 以前には、わからないことがわからず、質問もできなかった。自分と違うやり方や、技術と介護の方法の違いを認識している。それでも資格だけでの問題ではない、ということにも気づく。人柄もあるようだ。技術を研く、研修参加と努力。

 根が横着な分、掃除も片付けも嫌いだ。そういった一連の作業をさぼりたいために、汚さない努力、汚れたら直ぐに拭き取る。洗い物も少なく、捨てる物も出さない努力をする。外出時には、水筒持参。自動販売機には近寄りません。

 枇杷葉ローションは、除菌できるので、いつも持ち歩いている。消毒にもいい。傷の手当にもできるのがいい。これがなかった時には荷物が多く、閉口した。カットバンがいらないから、荷が軽い。倹約・節約できる一歩。重宝するのだ。

 夕顔が、最後の一輪を咲かせている。暑さが凌げるようになったので、蕾がついた。枇杷葉の花芽が見える。今年の異常気象で、苞がたくさん付いたのか。サンタ枇杷葉にも、昨年よりは多くある。然しよろこんでいいのか疑問も湧く。

 鈴蘭も、夕顔も似た匂いがする。何処からともなく漂う、強い香りだ。銀木犀も静かな匂いをさせる。枇杷葉も同様、白い花だ。

 

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結界・・・

2013年10月08日 | Weblog

 あちらにも、ここにも、あそこにも、居るのである。枇杷葉の葉表に、じっと蹲って、癒している彼らが。そう、かえる。雨蛙であるのだが、蟇蛙や疣蛙も居る。多彩な顔ぶれだ。我が家には、実に様々な生き物が生息している。ヤマカガシも棲息。

 人間が、いくら追い払った心算でも、彼等には自然がついている。化学が生み出す物には、効き目のあるのもだろうが、環境に準じた成長を遂げる。人間の考えの及ばぬことが、自然界には起きる。侮ると、自滅に至る。結界、恐るべしだ。

 我が家の周りにある枇杷葉は、ある意味結界を張っている。とても不思議な空間を醸しだしている。視える者にはわかるそうだ。そういったことを知らずに、暴言を吐くと、それは言霊になって、言った本人に返る。気の毒だが命の保障はない。

 暑く、蒸せる気温に、体力の維持を保てるか、少し自信が揺らぐ。枇杷葉の花芽が膨らみ、咲いてくれるのはいい。蜜蜂の行方も定かでないのだ。枇杷蜜が取れないものか。秋バラが咲いている。こんなに暑くては、色の微妙さと濃さがない。

 二十四節気の寒露。う~ん・・・、とは云い難い。今月は、十三夜もあるが、とても季節感は漂わない。凍てつく宇宙、吐く息の白さ、悴む手足。どうもピンと来ない気温だが、自然を相手には文句も言えない。三日月が西の空にかかっている。

 金星が近くに観える筈だが、雲が多くて隠れている。車中から写そうとしたが、車を駐車して撮影する。電線が邪魔。何度かシャッターを切る。そろそろ溜まってきたので、パソコンに移そう。今度の休みがいい。久々の自宅でのくつろぎである。

 映画にも行ったし、見たかったものにも行けたし、書籍も読んだことだし。ちょっと落ち着いたので、裁縫をしよう。携帯入れを作ろう。端切れもあることだし、手縫いでちくちくしよう。片付けもしなくちゃ。老いることは整理整頓。他人からは塵。

 消費税が上がるが、買い置きはしない。特に衣類は、以前の物で充分間に合う。体型が変わらぬこともありがたい。ウエスト周りは苦しいが、体を服に捻じ込む。塩で体を引締めよう。ドクダミ茶に、枇杷葉茶を飲み、ダイエットに励む日々。

 春、未だ浅き日に、何処からか這い出て来る。以後、あちこちで見かける。安心して、枇杷葉にうずくまって、逃げる気配がない。

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創意工夫すること

2013年10月07日 | Weblog

 子どもの頃には、祖母が何でも作ってくれた。と言ってもある物を工夫してのことだから、見栄えはよくない。然し、田舎の店には、何処にも売っていない。町まで行くか、街に行くかであるが、その運賃も莫迦にならない。我慢するしかなかった。

 今、思うのに。祖母の手作りには、真心があった。世の中にたった1つの傑作だ。でも、子どもの時には、その価値も、祖母への労わりもなく、感謝の心もなかった。お金さえ出せば、何でも手に入る時代に、便利さと物の豊かさに、もったいない。

 梅の種を洗って乾かし、枕にするといいらしい。無論、手入れを怠れば、黴ことにもなり、縫った処を解いたりしなければならない。手間であるのだ。然し、夏分の暑さを和らげ、熱の籠もった頭を爽快にしてくれる。体にはやさしい代物でもある。

 勤務先のカーテンのフックの処が、解れているのを繕う。故意にしたのではないことがわかるものの、何時までも放置はできない。できる者がやればいい。糸と針さえあればできる。それでも老眼には、糸通しは難儀。若い者が手伝ってくれた。

 修繕物は、直ぐにはできないことがあるが、時間をみては、1つづつ片付けねば埒が明かぬ。尤も、自分の独断ではできないので、上司の許可が必要だ。頼もしい上司が居ることにも感謝。認めてもらえるって、すんごく得した気分でもある。

 孫が、修学旅行に行って、お土産をくれた。春に行った、清水寺と、時代劇の撮影所の映画村にも行ったらしい。奈良の大仏さまの鼻を潜ったので、頭が良くなるよ。と照れていた。あらっ、枇杷葉茶を飲んでいるでしょ。鎌倉は行かないの。

 奈良は、興福寺の阿修羅像。猿沢の池、五重塔。快速を使って、日帰りをしていた。明日香には行っていない。三つ目がとおるを読みながら思いは膨らむ。箸墓古墳にも行ってみたい。内田康夫氏の影響が大きいか。天河も想う所ではある。

 リエさん枇杷葉の、右手・南に植えてある枇杷苗。鉢仕立てもある。5本ばかりが育っているが、どうかなぁ。

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心を亡くさないように

2013年10月06日 | Weblog

 できないことや、したくないことを言い訳に、忙しいと逃げる。誰にだって苦手なことはある。けれども、その代価をもらっているのだから、考えを変えたり、工夫したりで可能になることもありはしないだろうか。そういった努力をしもしないで、忙しいとは言いたくない。

 親に対して、洗濯した清潔な衣類を着せ、贅沢はしなくても、心の籠もった膳を並べ、思いやりのある会話ができればいい。これに加え、整頓された、清潔な空間を用意できれば、何も言うことはない。掃除は毎日でなくてもいいが、一日措きくらいでできればいい。

 埃塗れの、何が何処にあるのかわからない散乱、乱雑ぶりの場所には、病気の元が一杯だ。脚気にも、結膜炎にも、喘息や疥癬にもなる。全身に発赤や発疹、掻き傷だらけでは、気分までも鬱になってしまう。薬もいいが、ドクダミ茶で症状が治まり、改善された。

 自然の力には、説明できないが得るものがあり、それらが遇い極まって、治療にあたる。免疫力も抗体も、全力で応対して、治癒能力を発揮するのだ。痒みは嘘のように消え、痕跡は軽減されていく。尤も、そのタイミングも、自分で判断してやらないと失敗する。

 孫の誕生日会で集合。お決まりの手巻き寿しをして、にぎやかに食べる。初夏に蒔いておいた大豆が、実をつけて膨らんでいるのを収穫。思いの他生っていて、しかも枝ぶりもいい。早速に塩を入れて湯がく。熱々を食べさせる。嫁には手伝わせ、鞘ごと持たせる。

 たった1粒の大豆から、これ程の枝豆が取れようとは。フェンスの外のは、どっしり実がある。びっくりした。根槐菌の力よ、恐るべし。来年も植えよう。草が生えるよりいいし、手入れも何もいらないで収穫できる。加えて土が変わるのだ。土の威力も素晴しいもの。

 山女を植えていると、根切り虫がいなくなる、と書かれていたが、芋虫にも困っている。鉢の中には住み心地がいい、とばかりに増えるのだ。棲みかを決めるのは奴等だし、居住権を奪えるのか。ちょっと心が痛む。でも、花は植えたいし、咲かせたいのだ。

 初夏、忘れないで咲く花の1つ。名まえは何だったっけ?青い花が、基本的には好み。其処に、白や赤がある。花の彩りがいいなぁ。

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天の恵みに・・・

2013年10月05日 | Weblog

 雨である。待ち望んでいた雨だが、しょぼしょぼと降って止む。草木が潤ってはいるが、少々足りない。枇杷葉の緑が艶めき、葉の中心が膨らんできた。朝夕の温度差に、衣類の調整が必要で、今朝はカーディーガンを羽織った。大潮・朔である。

 今朝の某新聞の投稿に、高齢者への食事介助に対する、声かけの疑問が載っていた。高齢者への尊厳、と言うが、内実は子ども扱いが否めない。保育所と間違えるような態度や、言葉かけが、果たして本人にはどう届いているかは不明だろう。

 だが、強ち間違っているのでもない。介助する者の、過保護になるのだ。自立を援ける目的が、介助になってしまっている。援助という言葉のあやふやさだ。転倒が多い方には、寄り添いが必要だが、何人も見る現状では、職員同士の協力は必死。

 原因がわかれば対策を講じるが、それを全員がやっていかなければ、していないのと同じであろう。上に居る者の苦心惨憺にも思いを馳せ、本人にとって、何が生きる張り合いかを判断しないことには、体力も気力も低下の一途を辿ってしまう。

 況して、言葉の持つ魔力には、毒にも薬にもなり得る物が含まれる。幼児言葉を使って、果たして心にすんなり入っていくのだろうか?自分が云われたらどうか。介護福祉士の資格如何に限らず、介護者の有様ではないか。やがては自分も老いる。

 自分で、自分のことができるのが理想だが、集団で生活をしていると、意志は無視されたり、行動も制限される。危険が伴うのもわかる。一日を泰安に過ごしてくれれば、勤務の労度も少ない。だがそれでは不満が溜まる。自由とは名ばかりの束縛。

 自分の家に居て、自分のしたいようにする手援けがほしい。と切に願う。そういった取り組みがされている所もある。『ホーム・ホスピス』と言うらしい。宮崎市にお住まいの、市原美穂さんが、9年前に始められたことで、不可能なことではなかったのだ。

 人は必ず、生きている以上は死んで逝く。これは、誰にも阻止できない。然し、その老いも、病院での延命措置を受ける。遺言書を作っていても、無駄だと知っていながらも昂じる。人の死とは、厳かなものだ。この世との別れは、厳粛なことである。

 最後くらいは、皆で看取ってあげたいもの。傍にいてあげられることを、幸せに思える家族でありたい。自分の命を、この世に出してくれたことを感謝し、命を受け継いでいくことの責任を想いたいものだ。自然の摂理とは、万物の生命体なのだから。

 立てば芍薬。毎年、必ず優雅に華を咲かせる。年によっては、大倫になることも。どの色も美しい。

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絶句!

2013年10月04日 | Weblog

 汚染水が湾外に流れていた。そりゃ、流れるでしょう。海の側なんだから!津波による被害、という問題ではない。そういったことが起こりうるから、海の側に設置しているんだもの。何を今更言うておるか。それをコントロールされている?嘘つき!

 芋茎。ずいきです。母乳の出と、産後の肥立ちを促す働きがある。もち米を挽いて粉にし、丸めて団子にして、味噌汁に入れたり醤油味で食べる。芋茎は、今年のでなく。昨年のを取っておいて、小さく刻んでこの中に入れた。美味しい物ではない。

 最近は、産後に直ぐ入浴したり、洗髪をするが、母乳を止めたり、更年期になってからの症状が重い。確かに、不衛生かもしれない。せめて1週間は慎みたい。感染の心配もあるが、乳呑児への影響が気になる。心得違いをしているように思える。

 百舌鳥のけたたましい鳴き声。コスモスの花、金木犀・銀木犀の香り。桑の木に、赤い実が見える。秋生りらしい。口に入れてみると、意外と甘い。バラの花も咲いている。秋バラの方が、色が鮮やかだ。来春に咲く球根が芽を出している。気が早い。

 いわし。104・・・ちょっと苦しいなぁ。まあ、読めないでもないが。曼珠沙華も終りだな。この季節には、ごんきつねを思い出す。栗も松茸も団栗も、ごんを偲ばせる物ばかり。田舎でも狐を見なくなって久しい。自然が次第に消えて行き、季節感も薄い。

 子どもの熱下げに、枇杷葉の生葉を額に当てたり、蒟蒻を乗せるのがいい。アイスノンだと、冷え過ぎる。ちょっと独特の臭いはあるが、冷た過ぎない。キャベツの葉も、熱を取ってくれる。自然の力を借りるのは、少しづつ抵抗力を強めてくれる。

 明日は雨らしい。布団は干せないが、草木は悦ぶ。明日は、久々に家でゆっくりできる。月末には、古典落語を聴きに行く。枇杷葉の苞の膨らみを見ておこう。根槐菌を増やそうと、初夏に植えた大豆が実っている。ちゃんと実が入っている。

 百日紅。あまりの暑さに、花が咲かなかった。それとも剪定をしなかったからか。鉢植えは枯れる。地植が好い。

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秋の七草

2013年10月03日 | Weblog

 桔梗、萩、女郎花、葛、撫子、薄、藤袴。ススキのことを尾花、とも言う。今月は十三夜。ちと風情に欠ける。都心を離れると、そういった風景が見えるのか。オリンピックで、貴重な自然が亦一つ消える。終わった後には、経費がかかってしょうがない代物になる。

 復興費を中止にし、消費税を上げ、諸物価を引き上げる。泣きっ面に蜂だ。社会福祉にしか使わない、って保証もない。恐らく、上手く誤魔化して、懐に捻じ込むんだ。ペテン師・詐欺師の常套手段でもある。国会議員の誰かが、生活に困るような暮らしはしない。

 庶民の懐具合を知っているからこそ、税金を納めさせる。自分達の生活を維持するには、有無を言わせず徴収できねば。蚊に刺された程にも感じないのだ。記者会見をすること自体が違う。庶民を裏切り、言い訳を延々と述べている。オリンピックは要りません。

 税金をかけてほしいのは、別荘を持っていたり、財産が多いほどかかる仕組みがいい。年収も300万以下なら、消費税などは付けない。豊になれば働く意欲も湧く。消費させれば、景気も上向きになる。税金絡めにしては、生きる気力は削がれ、無力になる。

 ウンカの発生で、枇杷葉が黄色くなっている。葉のエキスを吸ってしまうので、緑の要素が無くなる。米に農薬をかけるからだが、地球上は汚染だらけ。放射線も、自然のものは月日で消えていくが、人工の原発ではそうはいかない。今や、責任の擦り合いだけ。

 友人が山女をくれた。未だ若いので、熟すのを待つ。フェンスに絡んだ野葡萄を摘む。口に入れるともの凄く甘い。今年は、漬けてみようと思い立ったのだ。ジャム瓶に入れて保管してみよう。さて、上手くいったら拍手喝采。自然の恵みを満喫するのもいいね。

 サンタさんから、珈琲が贈られて来た。リエさん達と行けなかったので、とメモがある。働き者のサンタさん。これからの季節には、更に忙しくなるでしょう。どうかお体を大切に。今年の花芽を採って贈りますね。寒中まで待っていてください。そろそろ膨らんでるよ。

 あちこちに植えてある割には、名まえを覚えていない。でも、この小さな紫のベルは、夏を告げてくれる。

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遠い日に・・・

2013年10月02日 | Weblog

 消費税が上がると、おちおち外出も出来ない。収入がなく、支出ばかりでは暮していけない。どうしたものだろう。限りなく不安が過る。老後を生活する手立てを講じなければ、と思いはあるが策はない。やはり枇杷葉を使うかな・・・。

 最近の乳児のひ弱さには、少しばかり驚く。便利さも豊かさも備え持った現代で、肺炎にさせる理由がわからない。昔ならいざ知らず、栄養面も足り、環境的にも整っている。可笑しなことだ。雑菌に対する、免疫や抗体がないのかも。

 命というのは、かけがえの無いものだが、当たり前のありがさを感謝しているのだろうか?してもらって当然ではない。足らないところを補う意味で、他人同士が出会い、共に生活していく。新しい命を授かり、育んでいく仕事でもある。

 言葉でどうこう云えるものでもない。いつの時代にも、子どもは親の背中を見て育つ。立派な親でなくてもいい。人の痛みのわかる者に、虐めや差別をしないお手本を、心がけてはぐくんでほしい。子育てとは厳しさと、豊かな愛情。

 洗濯機が洗濯を終え、取り出した衣類を、あなたはこの次にどうしますか?ハンガーに掛けたり、竿に干したりでしょうが、そのまま干します?脱水で絡まった衣類は、一度広げてパシッと叩きます。こうするとある程度皺が伸びる。

 タオル類は特にそうです。いがんだまま十手に掛けると、端が斜めになっている。それを干した後で直そうとするから、支障が出る。洗濯物を干したまま移動させる。床は傷む。ちゃちな物干し台だから、無理矢理では壊れてしまう。

 高いから壊れぬ、というものでもない。要は、弁償という意識が足りない。自分の物ではないのだ。丁寧に扱う必要がある。勤務するということには、必ず緊張感を持つこと。失敗は、極力防ぐことも大切だ。給料への代価だろう。

 南側の白い芍薬。昨年は、蕾のままで、咲かなかった。今年は、見事な華を咲かせた。貴婦人でもある。

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