枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

晴れたものの・・・

2014年08月21日 | Weblog

 正午前、近くの友人が来訪。我が家の書籍を借りに来たのだが、暑い最中で汗が吹き出る。何も、この時間にと思うが、友人の仲間と卓球をしているので、健康を維持するのと、生活習慣を変えられない主義。こちらは、運動に関してはオンチ。ご遠慮している。

 小1時間ほど喋って、書籍を持って車まで送る。風が多少はあるものの、湿気が多いのだ。べとつく汗にげんなり。庭に居るのも、10分が限度で、滝の如く汗が流れ落ちる。然し、健康にはいい。この地方独特の天気と言えば、夕方からが凪ぐ。外の方が涼しい。

 朝の内に、メロンと西瓜の出来を見、洗濯物を2竿干し、布団を久々に広げておいた。友人が帰った後、暑さに閉口して昼寝と決め込む。書籍も読みたいが、疲労していては瞼が重い。そろそろ起きようかと思っていたら、携帯が鳴った。明日の勤務変更である。

 珈琲を飲みながら、ブログの更新をする。久々の茹だる暑さに、食欲が失せる。こういう時に、白いご飯でのお結びが食べたい。塩をつけただけのお結びが、意外に新鮮。気が向けば、梅干を入れる。ごちゃごちゃとおかずを並べるより旨い。体力回復も図れる。

 枇杷葉に、網目の跡があり、たくさんの卵と幼虫を見つける。湿気を好むのだろう、慌てて木から取り外す。これ等が孵化したら、花芽が出ない。あっという間に葉がなくなる。自然の掟といえばそれまでだが、丸裸になるのは忍びない。そこは枇杷葉の味方だ。

 外国の人が、日本に住み着き、両国の佳いところを取り入れて、生活をしていることに感心する。日本人でもしないことを、根気佳くする姿に、これはもう人種ではなく、資質というか生きかたであると、心に落ち着く。自分の家であることには、苦労と自由がある。

 借家に至っても、ある程度は自由が利く。枇杷屋敷と思わす枇杷葉の木々を植え、花も多少はあるが、面積が狭い。何れは退去しなければならず、広げるのも限度があるのだ。地植にしないのもそういった理由がある。何と、大豆の勢いが物凄い。どうする?

 薩摩芋の収穫も愉しみだ。そろそろ蕎麦を蒔くらしい。種をもらえるの約束をしたが、さてどうなるか?年末には、麦も蒔いておく。昨年のことを思えば、愉しみは広がる。手始めの土の改善をしておかないと、作物は育たない。大豆で、根槐菌が増えてきたか。

 サンタ枇杷葉の根元に植わっている、白い水仙。毎年、植えていることを忘れて、咲き出してびっくりする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足るを知る・・・

2014年08月20日 | Weblog

 此のところ、勤務先に西瓜がごろごろとしている。然も巨大な物で、庖丁を当てて切ろうにも、何回かでするという大きさ。真っ赤な果肉は、熟れて甘い。水分も同時に補給でき、お腹も一杯になる優れ物で、連日西瓜のお八つだ。これを丹精籠めて作った方に感謝。

 人間、贅沢をすれば限がない。夏の時期には果物が美味しい。好みはあれども、文句はいけない。作ってくれた人の労を思い、味わえることを感謝したい。桃なら歓迎と言う罰当たり。葡萄もいいとは何たる悪言。徳があれば、戴けるのだ。西瓜を抱えて帰宅する。

 明日は、弁護士さんの所に行く予定が、先方の都合で止めになった。良心的な弁護士さんであり、法律には無縁の者に、丁寧に話してくれる。頭脳明晰はわかっているが、自慢することも無く親切でもある。自分の無力を思い知り、助力に感謝する日々でもある。

 人間の質が違うのだろう、と想わずにはいられない。合理的であり、感情を押し挟まない判断にも敬服する。それでいて親身になって、こちらの情況を察してくれる能力に、頭が下がってしまう。世の中には、こういった人間も存在するんだ、と手を合わせている次第。

 ケネディが、あの日、あの時、凶弾に倒れなかったら、世界は変わっていたのだろうか。ベトナム戦争も、湾岸戦争も起きなかったのか?世界が変化することもなく、権力の駆け引きで支配するアメリカにはならなかったか。知り得たことは、大統領とは孤独なこと。

 書籍で知り得る知識には限度があるが、そういったことで世界が変わる訳でもない。もし、時空の裂け目があったとして、其処に紛れ込んでいたとしても、彼は、必ず命を落とすのだ。苦しみが増えるだけかもしれない。時間を巻き戻す手立ては、無いに等しい。

 だが、ケネディ大統領が、腰痛で苦しんでいたとは。これは、驚くべき事実である。日本の民間治療法が、効果を表して、手術せずに治っていたかも。とは思う。枇杷葉温圧療法の施行で、大統領の命が救えたかもしれない。最新の医学が全てではないもの。

 友人の家からか、古里の母からの贈り物か、知らない間に育っていた。今では、大きな株になっている。小さな紫の花。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

接続不良相次ぐ・・・

2014年08月19日 | Weblog

 ネットへの接続が、短時間で切れる。接続不可能となる。何故、切れるのか?ちゃんと料金を払っているのだ。未払いなら兎も角、切るのは納得がいかない。まあ、ブログだけ書いておければいいので、そのまま閉じるが、ついメールを見落とす。手紙の方が早いかも。

 台所の洗剤にも色々あって、我が家で使うのと、勤務先では違うため、指の皮膚が荒れて剥け、血が吹き出る。痒みさえある。ステロイドの軟膏をもらったが、中々効果がない。ドクダミ茶を飲んだ途端、顔が腫れたが、数日で回復した。その後は除々に治っている。

 体内に毒素が溜まっていたことにも驚いたが、薬であれば強い副作用に苦しんだであろう。痒みが治まり、皮膚が再生してくることで、肌の張りも元に戻った。まさに驚愕する変化だ。枇杷葉の力も含めて、再生能力に圧倒されてしまう。薬効は、信じることで倍増する。

 夏バテや、風邪の予防に、自然からの力を借りよう。生姜、茗荷、梅、葱、玉葱、牛蒡、通草、はこべ、どくだみ、毒消し、神輿草、鉈豆、夏枯草、きらん草や大豆に麦等の何れもが、その薬効に驚く力を含む。季節に応じた様々な食べ方で、病を遠のける働きをする。

 そろそろ、世間は夏休みの後半。大人の夏休みは、個々に違う。個人的には、今月の終わり頃に三連休をもらっている。勤務上、偶々重なったのだ。庭の片付をしたい。剪定したのがあちこちに散らばっている。堆肥を作っておくのだが、自然に任せて風化している。

 帰宅途上、燃料を入れにガソリンスタンドまで行く。その帰り、怪しげな雲行きに、あっと言う間に巻き込まれる。雨音も激しく、叩きつける。まあ、洗車したと思えばいい。水遣りもしなくていいか、と郵便局と図書館に。予約していた書籍と違うが、ケネディ暗殺借りる。

 奇貨居くべし。全巻読んだが、返却期間があるので、再度読む。DVDのホビットを観る。う~ん・・・、どうも違和感があるなぁ。ナルニア国の配役が佳すぎた?どちらも冒険だが、現在から過去に往き、還る話と、円卓の騎士以前の世界の違い。指輪物語は岩波文庫。

 今年の梅の実は、強風が吹かなかったので、数十個の収穫があった。塩で漬けたし、梅酒にもした。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湿気多く・・・

2014年08月18日 | Weblog

 早朝の宇宙には、金星と木星が並び、それも光度が素晴しい眺めであった。いや、眠っておりました。一応、目覚ましでの起床を試みた。然し、睡魔には勝てなかった。昼間の宇宙に、金星は観えるが惜しいかな、写真が撮れなく断念する。

 日中の気温は涼しくあるが、地面が湿気ていて布団が干せない。今年の天気は、梅雨時から晴れ間が少ないうえに、やたらと湿気が多いので難儀だ。まあ、水遣りをしなくてもいい分、節約できる。反対に、夏の名残の夕顔が咲かない。

 足の脹脛が攣るので、枇杷葉の焼酎漬けを当てる。蒟蒻は足裏に置く。枇杷湯の効果もあるが、冷房で痛みが生じている。勤務先では、できるだけ点けないようにしているが、出かければそうはいかない。従って出不精になり読書となる。

 左肩の痛みが消えないので、ガーゼに浸した枇杷ローションを、一晩当てていたら、少しはいいようだ。症状の著しい改善には時間がかかるが、手元に枇杷葉のある生活を送れることは、かけがえのない幸せだろう。病院嫌いは益々だ。

 自分の健康には、己で管理できないと意味がない。凡そ、2ケ月近く、ドクダミ茶を飲んでいるのも効いている。ドラッグストアで買うのではないから、安心でき信頼もある。加えて、我が家のは甘い。まあ、薬草と思っているので我慢かな?

 毎朝、両親に枇杷湯のお茶湯(本来は白湯)をし、勤務先に持って行く魔法瓶に入れ、最後にドクダミに注ぐ。新聞を読みながらか、食事の後かに必ず飲む。これをし始めて、胃腸の調子も好い。神経を逆撫でしていた気配が嘘のようだ。

 古来から、施行してきた遣り方には、日本の薬草を熟知していれば容易い。長い間、民間療法として続いてきたのには、病になり難い食事療法も含まれる。野菜中心であり、旬の物を戴くことにある。農薬漬けになっての変化は著しい。

 体内に毒素を取りこんでいて、病気にならない訳がない。そこからして止める決断も必要だろう。細々とでも作り、食生活を改善したい。体内の毒素を排出する、枇杷葉茶をしっかり飲むことと、薬草で、内臓を綺麗に保つ努力を促したい。

 デルフィニュームの空色。宿根草というが、毎年買っている。鉢植えが拙いのか?地植を検討するかな・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下弦・小潮、天気回復

2014年08月17日 | Weblog

 漸く晴れた。昨夜には、土砂降りで雷も鳴っていた。花火が終り、帰宅してのこと、天が裂けたかと思う、激しい雨音だった。寒いので網戸を閉めて眠った。残業で遅くなったこともあって、書きかけのブログを済ませ、疲れ果てて布団に横になる。雨音が田園に聴こえた。

 庭の百日紅が咲いた。昨年は、1枝も咲かなかった。その前には、枝中に花を付けて、咲き乱れていた。淡い桃色の木だ。百日紅は、何れも¥190程度の苗を買い、数年経って咲き始めたもの。駐車場の紫が早く、次いで白が咲く。白枇杷の所の紫と赤、南の淡い桃だ。

 夏から秋へと移る中で、庭に花がないのは淋しく、小さな苗を求めて植えた。この花の風に揺れる様も、簪を挿した娘が歩いているようで、ちょっとした時間旅行ができる。季節外れの紫陽花も咲いており、花にとっては、様々な条件が重なる。枇杷葉の葉が繁っている。

 夏休みも後半に差し掛かる。子どもにとっての休みは、親にすれば、朝・昼・夕食の献立と、健康状態や行動範囲の把握もあろう。普段は、学校に行っており、地域の親睦は浅い。事故は何処でも起きる。まさか!という場所がある。文明の利器に、振り回されないこと。

 奇貨居くべし・天命編。秦の時代を斬新に築こうとした、呂不葦の壮大な構想に打たれた。始皇帝の時代の幕開けでもあった。人間の資質が問われる生き方とは、何だろう。物語を通して視える、贅沢で幸せな時間でもある。歴史は、生き方を問われる学問に等しい。

 明日は、休みなのだが、図書館も休館日。文庫の三国志を読むか、ニルスのふしぎな旅に入るか。先日は、長靴をはいたねこの、独特の絵に魅了された。ねこと言えど、その気転さと、大胆さには舌を巻く。然し、ねこの行いを実行して、その後の生活を努力すること。

 川柳に、待っている王子様が方向オンチなので、自分のところには来ない。というのがあったが、王子様のタイプも色んなのが居る。きっと皆其々に、王子様に回り逢っているのだ。月日と共に、努力を怠った結果に依っては異なる。隣の芝生は、やはり青く見えるもの。

 林檎の花が咲いた!白でもなく、桃色でもない、淡い色に見惚れる。娘は、この花になりたいという歌が好き。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心に留める・・・

2014年08月16日 | Weblog

 季節の移ろいを、いち早く察し、風向きを感じ、自分の成すべきことを知る。ということには、他人の気づかないところでの、努力を必要としてくる。何気ない動作や言葉に心を留め、症状とは別の深層に思い至りたいもの。そういったことには人の資質が問われる。

 できないことには、自分からしようとしない、詰りは努力をしないことと、表面だけの取り繕いがある。何処に重きを置くかがあり、何をするべきかを悟ることにも通じていく。資格の上での納得もあれば、年齢を重ねていきわかることもある。つまりは、応えは無限だ。

 犯罪者の心理的なことに、必ず、犯行現場に立ち返るという。尤も、犯人を追う刑事の執念にも依るが、完全犯罪を企む者にとって、迷宮入りに自惚れが生じ、犯行現場に惹き付けられ、向かうものらしい。然し、数日であるか何十年もが経つかは、事件の内容だ。

 そうしてみると、三億円事件の犯人は、際立つ恰好をしながら、当たり前の日常を演じ、まんまと逃げ遂せた。時間を上手く使い、心理状態を巧みに利用し、これほど鮮やかに謎を生じさせ、霧の中に隠れている。だが、殺人はどんな理由があろうと許せない犯罪。

 或いは亦、戦争と言う名の下に、大勢の命が奪われることを、決して許してはならない。政治は大人の見解がしていくもので、自分勝手な言動が、情勢に依ってころころと転じてはならないのだ。其処に至るまでは、己のことよりも、国民の生命の危険を哀うこと。

 消費財を上げるのも、年金を減らすのも、止むを得ないと思うことにはできる。然し、福島第一原発事故を未決のままで、外国に原発を輸出したり、核のゴミを野晒しにしていたりは違う。人命優先の、地球環境を考えた措置を施行してもらいたい。責任転嫁は否。

 地元の花火を観ながら、焼夷弾の炸裂時は、こんなものではなかったこと。広島や長崎に、原爆投下された意義には、純粋に怒りが炸裂する。戦地に否応無く往かされた者には、後戻りできない哀しみが、残った者に永く続く。戦争とは、如何なる理由でも否。

 今年の枇杷葉。ほんとうに少ない結実だった。その中で、白枇杷は意外と多かった。味も濃厚で、1ヶ月保存できた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敗戦の日、月遅れ盆

2014年08月15日 | Weblog

 今年の旧盆・盂蘭盆会は、10日であり、薮入りは翌日だ。新暦との違いがカレンダーには記されていない。夏越の払いも亦、同じである。旧暦と新暦を入り混ぜて、8月を葉月というのも変だ。今年の旧暦では、新暦の8月25日から9月23日までを云う。

 然しながら、農事に関係のあることで、一般の者には無関係かもしれない。或いは亦、農事者にも昨今は言われないことかも知れずで、手間隙をかけて作り出すことが敬遠されている。簡単で便利な物には、心身を蝕む様々な要因が宿る。病となる。

 奇貨居くべし・飛翔編。広大な秦国の出現には、主人公の熱意は欠かせないが、生涯を通じて努力を惜しまなかった意志が深い。発想の転換をすることに長け、人を生かすことを常に考えていた。己の私欲ではなく、萬民の為を思うことに慄然とした。

 古来の人にも、家財を増やし、宝玉を蓄え、権力を手にした者も少なくないであろう。だがそれを己の物だけに留めず、人を援け、人を生かせることは難しい。自分の懐は痛めず、血税をちょろまかし、私利私欲に走る議員の何と多いことか。馬鹿馬鹿しい。

 田舎で、無農薬の珈琲を飲める場所があるらしい。手作りの菓子がついて、¥600と言う。材料も自家製のようだ。珈琲の味は、水の質にも縁るのだが、飲んでみないことにはわからない。本来は、豆を炒って挽き、一人分を淹れるのが、一番美味しい。

 儲けを考えずにするなら、我が家でも可能だが、あまり教えたくない。珈琲は、ざわついた場所では飲みたくない。本が読めることが条件で、手元を探った時、絶妙のタイミングで飲みたい。態々、何処かに出かけて行ってまでは、昂が削がれてしまう。

 従って、自宅での気儘な気分を愉しんでいる。サンタさんが、注文に応じて送ってくれるのも有難いのだ。今時は、珈琲1杯は¥500を下らない。コンビにでは¥100であるが、無農薬ではない。贅沢は好まないが、これだけは続けたいものである。

 月と木星。最近の携帯での撮影には、感度の良さと鮮明さがある。決して腕がいい訳ではないのは納得している。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曇り空に・・・

2014年08月14日 | Weblog

 洗濯物が、すっきりしない天気だ。風があるので乾くにはいいのだが、少しばかり湿気が残る。箪笥に仕舞うにしても、考えてしまう乾き具合。室内に一旦取り入れておく。自宅では、一晩干しておく。最近は、除湿機も出さない。省エネ・エコ生活を送っている。

 給料に著しい変化はなく、年金は下がる一方では、光熱費の削減しかできない。食費は最低限の生きるため。衣類や雑貨は、消耗品なので仕方ないが、それでも極力押さえての生活である。衣類は、体型が変わらない分、禿げても我慢し、繕って着ている。

 普段着は、仕事着にしている物が多く、見苦しくない程度の衣類で通す。自分にあった色で買っているので、特には問題ない。デザインも、流行に左右されないのが多い。独身時代から言えば、少々は太った。買わずに着ようとすることに、難儀が生じてくる。

 やはり、二の腕やウエストが問題で、息を止めて穿けば落ち着くが、食事をしたりすると、苦しくなってくる。そこで、入浴した際に、塩で揉んでみることにした。何とか成功して、30年前の服が着られだした。捨てるに忍びない上質の生地なので、ほっとした。

 然し、油断をしていると肥る。自宅では、緩めの衣類なので、休み明けが怖い。極端に痩せたくはないが、太れないのも事実だ。まあ、それでも枇杷葉茶を飲み続けているせいか、体重の変化はなく、病気にもならない。自然の力の有難さ、お蔭さまである。

 ドクダミ茶にも、鉈豆にもパワーをもらい、全身に溢れてくるエネルギーに、どんなに援けられていることだろうか。新月・朔と満月・望には、必ずお茶の中味を換える。特に新月には、守り塩をきちんとしている。旧暦のお蔭もあって、強い力を感じてしまう。

 医者嫌いの者には、枇杷葉は有難い神気の宿る樹だ。これほどに強いエネルギーには、今まで出遭って来なかった。と言うか、気づかないことが多かった。不思議な体験をしていても、それが枇杷葉の持つ力だとは、想わなかった。遅きに失する我だ。

 夏に咲く花で、この青い色が美しい。庭にある殆んどが、白であるが、一際目立つ花でもある。宿根草と言うが、消える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

墓参りに行く・・・

2014年08月13日 | Weblog

 本来は、古里の家で、並んだお位牌に手を合わせる。家人に土産物を手渡し、其々の息災を感謝するのだが。荒れ果てた道には、猪の通った跡、お墓に続く坂には、枯れた巨木が倒れていた。先日の雨で腐ったものらしい。道は草が刈ってはあるが・・・。

 先々月、墓掃除に来ていてよかった。とつくづく思う。家で、お茶湯を両親に上げながら、蝮を這わせないように、きつく申しておいたもの。見かけたら、捕らないと咬まれる。できれば出て来て欲しくない。子ども達と水を換え、花と菓子を供え、手を合わせる。

 今回は、虫が知らせたのか、娘に声をかけた。送り迎えがいったが、中々参れないのを誘ったのだ。嫁は仕事で、孫達は留守番をさせた。両親との想いは、娘や息子には鮮明だが、孫等には曾孫ともなり、祖先の意味は薄い。父や母を偲び、想いが溢れる。

 息子の運転する車で一緒であった。孫等にお八つをこさえていたのと、今夏の最後でもある白桃を渡す。ご飯のスイッチを押し、お墓に持って行った物を片付け、散らし寿しを作る段取りに入る。茗荷の甘酢煮を鍋で用意する。次に、鉈豆の塩茹でを作った。

 それをしている間に、沢庵の微塵切りをする。ご飯が炊けたのを飯ぼうに移し、砂糖・塩・酢を混ぜる。青紫蘇の葉を庭に取りに行き、海苔の短冊とを刻む。出来上がった寿しを皿に盛り、娘によそおい、自分も戴いて、白桃や何がしかを荷にして持たせ送った。

 帰りには、図書館で返却をし、奇貨居くべし・飛翔編と天命編を借りる。黄河編は、昨夜読破した。流星群の観測は、月が出て余り観えず、出たり入ったりで、読んだ次第。ベニシアのハーブ便りも借りる。素朴な疑問だが、我が家のドクダミ茶は、甘いんです。

 ドクダミですから、独特の臭いはありますが、それも乾燥させれば、どうということもない。枇杷葉茶で淹れるからか、甘くて美味しい。収穫した時点では、水で洗いません。これをやると腐る。従って、飲む時に洗って、ポットに入れ、花芽茶の温かいのを注ぐ。

 枇杷葉茶と言っても、我が家の場合は、その殆んどが花芽か種です。葉は、焼酎に漬けるのが大半で、葉先と軸とが枇杷湯になるのだ。寒中に採った葉は、枇杷葉茶で飲用するが、誰かに差し上げることが多い。ドクダミは、取っている時には大層臭うが。

 鉈豆は、この時期鞘を下げている。花も可憐な白と桃色で、あちこちに絡まっている。メロンは収穫を終えた、と思っていたら、小さいのがぶら下って、何とスイカが手毬大の大きさで生っている。え~!時期を過ぎた感がある。熟れるのだろうか?怪しいな。

 クリスマスローズ。春先の庭に満開になった様子。毎年、咲き乱れて、長いこと愉しませてくれる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペルセウス座流星群、観望・・・

2014年08月12日 | Weblog

 連休である。何を隠そう、流星群が観たく、希望休を出したのだ。例年、調子よく観望できる訳ではない。偶然、見あげた時、流星痕のある大きなのを、捉えることもある。天文台に泊り込んで、台風の去るのを待ったこともある。さて、今夜はどうだろう。

 月はと言えば、こっそり地球に近づきたかったのを、メディアで煩く報じるから、月の状態が知れては、と色々策を嵩じた。台風の接近という自然の隠れ蓑で、巧く逃れた。天界の住人も、ほっとしていることであろう。昨夜も、厚い雲に覆われて断念す。

 原子爆弾の、ウラン型とプルトニューム型の違いは、爆弾を造る過程にある。凄まじい破壊力を持っていても、その大きさが小さければ、遠くまで投げられる。原発を再稼動して、武器を造る段階で、そういった物質があれば、他国を牽制でき、売れる。

 日本は、原子爆弾投下によって、何万という尊い命を奪われ、生き残った人々も、死の恐怖と闘っている。それなのに、憲法の解釈を変えてまで、武器を輸出し、原発を他国に売る。その狙いは、何だろう?どんなに考えても、人殺しには変わらない。

 戦闘機を輸入して、全国の基地に配置し、日本の上空を飛ばす。偉い人等には何故わからないのだろう。超音波に依って飛行する機械は、自然界を破壊し得る。地震を起こす波動を助けて、海底の振動を大きくする。巨大な津波が押し寄せるのに。

 自然からの警告を聴かなければ、日本だけではない。この青い星が消える。つまりは太陽系の消滅へと誘うのだ。科学の発展と研究とは、紙一重でもある。例え、生き残ったとしても、放射線塗れの食べ物しかない。それも自然界の生の状態で・・・

 便利さという生活には、どうやっていけば、食べれる物を見つけられるか、という工夫もない。生の状態で口にはできないし、火さえ熾せまい。材料もなく、空腹状態で、正常な神経を持てるとも思えない。原発さえなければ、食べる物はあるだろうが。

 奇貨居くべし。面白くなってきた。孟生君や楽毅が登場してきた。以前読んだが既に忘れている。本棚には置いてあるが、記憶も中々追いつかない。再読の必要有り。中国にしろ日本と言えど、古人の行いには、大いに教えられることがある。学べる。

 木星。ジュピターと呼ばれる。惑星の体に観える縞が美しい。この惑星には、衛星が数個ある。さて、幾つご存知か。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする