北海道美術ネット別館

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高級酒と貧乏性

2020年01月23日 12時32分49秒 | つれづれ日録
1)


 先ごろ、こんなニュースが流れました(以下、日本経済新聞サイト https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54331610S0A110C2TJC000/ からの引用)。

 ニッカウヰスキーは、国産ウイスキー「竹鶴」の年代物の製品の販売を3月末で終了する。原酒が不足しているためで、「余市」なども年代物は既に販売を止めている。同社の国産ウイスキーから「17年」など熟成年数を商品名にうたう商品が姿を消すことになる。


 ツイッターでは「残念」という声がありました。
 自分はというと、ほとんど飲んだ記憶がありません。買ったことは一度もないです。

 寝酒として購入するウイスキーは「ブラックニッカ」あたりが中心で、高くとも「フォアローゼズ」「カナディアンクラブ」などです。
 ふだんアルコールを摂取しない人に説明すると、スーパーマーケットの店頭で2千円を超えるものは買ったためしがありません。千円前後のびんが中心です。

 「若いうちから高級品ばかり飲み食いしていると、舌が肥えて、将来ふつうの品が取れなくなるぞ」
と言われたことがあります。
 もちろん、若い時分はそもそもお金がなくて、高級品を買うことができませんでした。
 いまは、30年前にくらべると多少のお金はあります。
 ですが、あのころの習慣から抜け出す時機を見つけられないままに、ここまできてしまったようなのです。

 さらにいえば、最近の自分は、週に1、2度しかお酒を飲まなくなっています。
 「おいしいものをおいしくいただくチャンス」を永久に逃してしまったのかもしれません。


2)


 ことはお酒に限りません。
 海外旅行などは、1980~2000年ぐらいには60代の人がよく出かけていた(あと、結婚前の20代女性)のを見ていたので、自分もお金と暇が多少できる定年後に行きたいと、漠然と思っていました。

 しかし、いざ年を取ってみるとどうでしょう。遠くへ旅に出ることがかなりおっくうに感じられる自分がいます。
 それにくわえて、暇はともかく、お金の余裕ができるかどうかもわからなくなっています。
 各種年金は、従来のように60歳から受け取ることにすると、額が大幅に目減りすることになっています。

 わたしたちの親の世代は「わが子には、自分たちが受けたよりも良い教育を受けさせたい」と願い、進学に力を入れてきました。
 いまのわたしたちは、同じ願いを抱くことが少し難しい。給与や諸物価の動向に比較すると、学費が非常に高くなっているからです。
 お酒を飲みに出かけなくなったことはもとより、外食を減らして自炊するなど、生活防衛に努める日々をおくっています。タクシーには乗らず、スーパーマーケットでは安い品を買うようにしています。


3)


 世の中には、べつに、お金をかけたからといってそのぶん満足度が上がるわけではないものがあります。
 ウイスキーはどうなのかわかりませんが、例えば、衣服などは、価格と満足度がまったく比例しないというのが、筆者の偽らざる実感です。
 その反対に「安全かみそり」「あかすりタオル」「歯ブラシ」などは、多少出費して良いものを買った方が、生活の質が上がるように思います。
 これらの商品は、高いものと安いものの差はせいぜい数百円です。


4)


 ともあれ、昔からの貧乏性的な志向はついに変わらず、老境にさしかかっています。
 ああ、とうとう自分は、竹鶴もヴーヴ・クリコもドンペリも飲まず、高級車も乗り回さず、オーダーメイドのスーツも着ず、飛行機のビジネスクラスも乗ったことがないまま死んでいくのだなあと思うと、ほんのちょっとさびしくはありますが、いまさらそんなことをいってもしかたありません。
(グリーン車は、特急オホーツクの普通席に空きがなく、やむを得ず1度だけ乗ったことがあります。「A寝台車」は1969年に1度だけ利用しました)

 とにかく、年を取るということは、新しいことに挑戦するのが面倒くさく感じられるようになる、ということなのです。
 だから、若い人たちには
「今のうち何でもやっておいた方が良いよ」
と言いたい。勉強でも海外旅行でも。
 でも、これだけ可処分所得が減って、将来への不安に満ちたいまの日本で、そういうことへの思い切った出費はほんとうにやりづらい。

 昔、丸の内のオフィスで働く若い女性たちが、海外でブランド品を買いあさっていたのって、なんだったんだろうと思います。
 「ブランドのバッグを買うお金があったら、アートを買う習慣ができればいいのに」
という美術関係者の声もいつしか小さくなったように感じます。


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4 コメント

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レス遅れてすみません。 (ねむいヤナイ@北海道美術ネット別館)
2020-01-26 17:45:24
本については、私も昔は
「いつか読むかも」
という理由で買っていましたが、さすがに最近は
「これは死ぬまで読まないだろう」
と思われるものは購入しないようになっています。
自宅にはもはや収納場所がなく、ベッドや窓の前にまで書物があふれています。

なんとかしなくてはなりませんが、途中で投げ出すほどつまらない本、間違えて複数買ってしまった本などはもうとっくに処分(捨てるか、古本屋に売却)しているので、これ以上空きスペースをつくる余地もあまりないのが現状です。

とはいえ、体力のあるうちに始末しなくては…。
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Unknown (SH)
2020-01-25 08:53:09
やはり最後に問題になるのが本であるわけですけれども、私も昔に比べるとめっきり買う量が減りました。
時間がないので古本屋巡りというのをしなくなったこともあります。

それから、かつては買った本は一冊も処分せず、すべて本棚に並べるにはどのくらいの長さが必要か、などと思っていましたが、最近は「そうか、もうこれ二度と読まない(読めない)な」ということが分かって来て、少し執着が薄れつつあります。

とは言ってもまだ上昇傾向であるのは間違いないので、いつ本の人口減少サイクルに入るのかが問題です。
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SHさん、こんばんは。 (ねむいヤナイ@北海道美術ネット別館)
2020-01-24 19:22:52
いつもどうもです。
竹鶴の話は、まあいわば「マクラ」であって、書き出しの例示はべつに洋酒じゃなくてもいいのです。車は、たしかに札幌にずーっと住んでいればなくても大丈夫ですね(北見で1年間、自家用車なしで暮らしていた私が言うのだから間違いない。笑)。

おっしゃるとおり、衣服は、かけた金額と満足度の間に全く相関関係がなくて、ちょっと高いブランド品のくせに縫製が雑なこともあります。

本は、SHさんほどではないですが、かなり買っています。ただ、わたしの家にある蔵書のうち、定価で買ったのは半数ぐらいじゃないかなあ。
ちょくちょく売りましたが、これも愛着があるものは古書店に持って行けないので、減らすにも限界があるんですよね。
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Unknown (SH)
2020-01-24 08:33:15
ヤナイさん、こんにちは。
結局、どこに消費の重点をかけるかだと思うのですよね。
私は竹鶴の17年、21年も買ったことがありますが、車を持つ贅沢(もちろん地域によっては必須なものですが、金額としての話です)に比べれば、安いものです。

私が金をかけないものとなると服ですか。軽く10年着ているものも沢山あったりして、安上がりのきわみです。

ちなみにウイスキーは値段が10倍だと、感覚的には味は2~5倍くらいですかねえ。値段には比例せず、高くなればなるほど差が微妙になって来ますが、これとて、味の分かる人が飲めばもっと明確に違うのかもしれません。

確かに可処分所得が減っているというのは非常に気になることで、普通の人が興味と必要性に応じて、もう少しお金をかけたいところにはかけられる余力があるべきだと思っています。
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