老人の筆者からみても、政権支持派と反対派の間にこれほど深い溝が生じた時代は、いままであまり(少なくともこの半世紀間は)なかったというのが実感だ。
どうしてこういうことになってしまったのだろうか。
それは、自民党がどうこうというよりも、安倍晋三首相への見方が180度異なることにあるのではないか。
支持者から総理大臣がどう思われているのか、筆者は深くは知らない。
ただ、先の大阪G20でもリーダーシップをとって、会議を成功させるなど、そこそこの成果をあげているとみなされているのではないか。
失業率は低いし、株価も堅調だ。
反政権側からは、要約すると、まったくどうしようもない人と思われている。
歴代の自民党総裁=首相と比べてダントツにひどいというのが、広まっている認識だ。
とにかく人の話を聞いていない。
国会の論戦でも、聞かれていないことをだらだら答弁して時間を空費する。
筆者は仕事柄、国会中継を流しっぱなしにしていることが多いのだが、麻生首相も、答弁の際は手短に聞かれたことを答えていた。それが当たり前だと思っていた。
安倍さんは関係ないことをエンエンとしゃべることが多い。
しかし、それをそのまま伝えたのでは読者や視聴者に不親切だから、新聞の「論戦の焦点」や、テレビニュースでは、あたかも応答が成り立っているかのように編集する。
新聞社もテレビ局も、総理大臣が答えになっていないことを語るという論戦を想定していないのだ(そりゃそうだろう)。
その上、統計は都合のいいように書き換える、各種記録はどんどん廃棄する、演説や答弁で平気で事実と異なったことをしゃべる、野党の国会開催要求を無視する、国会の委員会では自席からヤジを飛ばすくせに自分へのヤジにはすぐに反応するーということが続けば
「ちょっと待ってよ」
と言いたくなると思う。
こんなふるまいをする総理大臣=自民党総裁はかつていなかった。橋本さんも小渕さんも竹下さんも、野党のいうことには耳を傾けた上で、国会を運営していた。
安倍さんはそもそも国会を開きたがらない。
記者会見では、あらかじめ提出された質問以外には答えない。用意された回答文を読み上げるためだ。
国内ではそれでも通用するが、どうやら海外の首脳とも原稿を読みながら会談しているようである。
失言はしないかもしれないが、当意即妙のやりとりなどはぜんぜん期待できない。
英語ができるとかできないとかではなく、ふつうの会話のキャッチボールが成立していないのだ。
こんな総理大臣がいただろうか。
意見の相違以前の問題なのだ。
にもかかわらず、国政選挙では自民党が連勝する。
なぜだろう。
これについては、安倍さんにはあまり関係ないと筆者は思う。
戦後ほぼ一貫して政権を担ってきた
「自民党」
というブランドの強さなのだろうと思う。
自営業者や会社経営者は、いまの国際情勢や経済動向がどうのこうのという以前に、自民党の候補者に投票する。
それが、習慣になっているのではないか。
それはわかる。
逆に、左派にはそれががまんできない。
たしかに自民党は戦後日本の繁栄に一定の役割を果たしてきた。
しかし、いまの総理大臣は、人の質問に答えることのできない人だ。
たとえば自分の働く会社の社長が、外面は良くても、実際には会話もできないような人が6年も君臨していたら、社員はどう思うだろう。
会社の業績がまあまあでも、がまんできる人とできない人が出てくるのではないか。
筆者には、安倍さんという人がよくわからない。
しかし、たとえば7月20日の首相動静をみると、政治評論家と長時間会談している。
左派が罵倒するようにほんとのバカなら、こんなに長い時間の会話は成り立たないだろう。
また、日常的に会う機会のある議員や関係者から相手にされていないだろう。
森元首相は、失礼ながらあまり頭脳聡明な方ではなかったが「座談の名手」といわれ、酒の席で一緒になった人からは笑いが絶えなかったという。
安倍さんにそういう要素があるのだろうか。
ほんとのところは、どうなんだろうと思う。
というか、なぜここまで、人物をめぐる見方が割れるのか。普通は、あり得ない。
繰り返すが、自民党が戦後日本の経済成長を支えるとともに、いわば「大人の知恵」で落としどころをさぐって日本列島のかじとりをすすめてきたことは否定しない。
しかし、いまの自民党は、そういう政党だろうか。
すっかり変質してしまい
「改憲のためならなんでもあり」
という政党になってしまってはいないか。
国会で与野党が伯仲していた1970年代から21世紀初頭にかけて、新しい自民党総裁=総理大臣は、就任してまず
「私の任期中に憲法を変えるつもりはない」
と宣言するのが常だった。
防衛予算では与党と野党が対立しても
「戦争はやっちゃだめ」
「核兵器はもたない」
ぐらいの共通認識はあった。
共産党の志位さんが先日
「拉致問題で訪朝する前、小泉さんは野党党首を集めて説明をしてくれたのに…」
とボヤいていた。
いまの政府は、反対派や野党もおなじ国民であって、一緒にやるときはやるし、話し合うときは話し合う-という姿勢にとぼしいのかもしれないという気がする。
というわけで、現状維持派と反政権側の間には、修復不可能な溝が生じているのだ。
(この記事では、あえて憲法や経済にはあまり触れませんでした。その前段の話をまずしておくべきだと思うので)
どうしてこういうことになってしまったのだろうか。
それは、自民党がどうこうというよりも、安倍晋三首相への見方が180度異なることにあるのではないか。
<1> 安倍晋三総理大臣という人
支持者から総理大臣がどう思われているのか、筆者は深くは知らない。
ただ、先の大阪G20でもリーダーシップをとって、会議を成功させるなど、そこそこの成果をあげているとみなされているのではないか。
失業率は低いし、株価も堅調だ。
反政権側からは、要約すると、まったくどうしようもない人と思われている。
歴代の自民党総裁=首相と比べてダントツにひどいというのが、広まっている認識だ。
とにかく人の話を聞いていない。
国会の論戦でも、聞かれていないことをだらだら答弁して時間を空費する。
筆者は仕事柄、国会中継を流しっぱなしにしていることが多いのだが、麻生首相も、答弁の際は手短に聞かれたことを答えていた。それが当たり前だと思っていた。
安倍さんは関係ないことをエンエンとしゃべることが多い。
しかし、それをそのまま伝えたのでは読者や視聴者に不親切だから、新聞の「論戦の焦点」や、テレビニュースでは、あたかも応答が成り立っているかのように編集する。
新聞社もテレビ局も、総理大臣が答えになっていないことを語るという論戦を想定していないのだ(そりゃそうだろう)。
その上、統計は都合のいいように書き換える、各種記録はどんどん廃棄する、演説や答弁で平気で事実と異なったことをしゃべる、野党の国会開催要求を無視する、国会の委員会では自席からヤジを飛ばすくせに自分へのヤジにはすぐに反応するーということが続けば
「ちょっと待ってよ」
と言いたくなると思う。
こんなふるまいをする総理大臣=自民党総裁はかつていなかった。橋本さんも小渕さんも竹下さんも、野党のいうことには耳を傾けた上で、国会を運営していた。
安倍さんはそもそも国会を開きたがらない。
記者会見では、あらかじめ提出された質問以外には答えない。用意された回答文を読み上げるためだ。
国内ではそれでも通用するが、どうやら海外の首脳とも原稿を読みながら会談しているようである。
失言はしないかもしれないが、当意即妙のやりとりなどはぜんぜん期待できない。
英語ができるとかできないとかではなく、ふつうの会話のキャッチボールが成立していないのだ。
こんな総理大臣がいただろうか。
意見の相違以前の問題なのだ。
<2> 自民党ブランド
にもかかわらず、国政選挙では自民党が連勝する。
なぜだろう。
これについては、安倍さんにはあまり関係ないと筆者は思う。
戦後ほぼ一貫して政権を担ってきた
「自民党」
というブランドの強さなのだろうと思う。
自営業者や会社経営者は、いまの国際情勢や経済動向がどうのこうのという以前に、自民党の候補者に投票する。
それが、習慣になっているのではないか。
それはわかる。
逆に、左派にはそれががまんできない。
たしかに自民党は戦後日本の繁栄に一定の役割を果たしてきた。
しかし、いまの総理大臣は、人の質問に答えることのできない人だ。
たとえば自分の働く会社の社長が、外面は良くても、実際には会話もできないような人が6年も君臨していたら、社員はどう思うだろう。
会社の業績がまあまあでも、がまんできる人とできない人が出てくるのではないか。
<3> 安倍さんの実像って?
筆者には、安倍さんという人がよくわからない。
しかし、たとえば7月20日の首相動静をみると、政治評論家と長時間会談している。
左派が罵倒するようにほんとのバカなら、こんなに長い時間の会話は成り立たないだろう。
また、日常的に会う機会のある議員や関係者から相手にされていないだろう。
森元首相は、失礼ながらあまり頭脳聡明な方ではなかったが「座談の名手」といわれ、酒の席で一緒になった人からは笑いが絶えなかったという。
安倍さんにそういう要素があるのだろうか。
ほんとのところは、どうなんだろうと思う。
というか、なぜここまで、人物をめぐる見方が割れるのか。普通は、あり得ない。
<4> さて。
繰り返すが、自民党が戦後日本の経済成長を支えるとともに、いわば「大人の知恵」で落としどころをさぐって日本列島のかじとりをすすめてきたことは否定しない。
しかし、いまの自民党は、そういう政党だろうか。
すっかり変質してしまい
「改憲のためならなんでもあり」
という政党になってしまってはいないか。
国会で与野党が伯仲していた1970年代から21世紀初頭にかけて、新しい自民党総裁=総理大臣は、就任してまず
「私の任期中に憲法を変えるつもりはない」
と宣言するのが常だった。
防衛予算では与党と野党が対立しても
「戦争はやっちゃだめ」
「核兵器はもたない」
ぐらいの共通認識はあった。
共産党の志位さんが先日
「拉致問題で訪朝する前、小泉さんは野党党首を集めて説明をしてくれたのに…」
とボヤいていた。
いまの政府は、反対派や野党もおなじ国民であって、一緒にやるときはやるし、話し合うときは話し合う-という姿勢にとぼしいのかもしれないという気がする。
というわけで、現状維持派と反政権側の間には、修復不可能な溝が生じているのだ。
(この記事では、あえて憲法や経済にはあまり触れませんでした。その前段の話をまずしておくべきだと思うので)