(承前)
前項は、ロートレック展のあらましについて書きました。
しかしながら個人的にはこの画家について根本的な疑問がついて離れません。
つまり、どうしてロートレックが偉い画家とされているのか、彼の良さとは何なのか、ということが正直よくわからないのです。
それと関連しますが、西洋美術史のなかにどのように位置づけられるのかも、今一つピンときません。
彼は「ポスター芸術の第一人者」だといわれます。
しかし、ポスターという分野はそれほどまでに重要だというなら、ではなぜ、ロートレック以前や以後にもいるであろうポスターの作り手の名前が、美術史にほとんど登場してこないのでしょう。
ポスターの作家としてはカッサンドルやカピエッロらが挙げられるのですが、ロートレックにくらべると言及されることが極端に少なすぎます。
実はロートレックは、ふつうのタブロー(油彩)でもさまざまな作品を描いています。
筆者は油彩をポスターよりも、前提なしで上位に置くような間抜けではないつもりですが、油彩を考慮に入れないと、ロートレックを、印象派→後期印象派/新印象派→ナビ派→キュビスム/フォービズム…という近代フランス絵画史の中に位置付けることがうまくできません。
彼が美術史の流れからまったく孤立した存在であるはずもないのですが、いまはどうも、19世紀後半のフランス美術の中に当てはめられていないという感じが否めないのです。
いや、美術史以前の話で、ロートレックの絵って、美しいですか?
スーラやモネやゴッホの絵は、美術史について知識がなくても、なんだか魅力的じゃないですか。
しかしロートレックが描く舞台俳優は、筆者の目にはぜんぜん美男美女に見えません。
ある女優が「もっと美しく描いてほしい」と訴えたのもわかるような気がします。
線の美しさという点でみても、今回はかなりの分量の素描が出ていたのですが、例えばビアズリーなどに比べてどれだけすごいのか、筆者にはわかりかねました。
もう一つ、気になることがあります。
なんといっても19世紀から20世紀にかけてのパリは「世界の首都」(ベンヤミン)であり、さまざまな作家や美術家、音楽家、批評家などの名前が日本にも伝わってきています。ある作家や美術家の略伝を追うと、関係者の名前が次から次へと出てきて、そのつながりを追うのも、鑑賞のひそかな楽しみであるといえます。
ユゴーがバルザックの死の床に駆けつけたり、詩人ランボーがヴェルレーヌと一時期同居していたり、同時代の芸術家の肖像を撮りまくった写真家ナダールのアトリエが印象派展の会場だったり、ドイツの詩人リルケが彫刻家ロダンの助手だか秘書だかを一時務めたり、ゾラとセザンヌが旧友だったり、この手の話はキリがないのですが、ロートレックの場合、そういう話が驚くほど少ないんですよ。
伝記にはいろいろな人物の名が登場するのですが、よく知られた人物が少ない。舞台関係者の名はあまり筆者が知らないというのもあるかもしれませんが、今回の展示でいえば、サラ・ベルナールぐらいでしょうか。
有名な音楽家や批評家、画家仲間がまるで出てこない。交友関係の想像がしにくいのです。これは不思議です。
画像は、珍しい有名人である作家ルナールの『博物誌』にロートレックが挿絵をつけた本です。
以上の件については、有名ブロガーである「青い日記帳」さんのインタビュー記事( https://lovewalker.jp/elem/000/004/216/4216389/ )を読み、疑問が氷解したところもいくらかあります。
とはいえ、上記の文章を読み、展示を見たあとでも、近代絵画史に位置付けにくい画家であるという印象は変わりませんし、そもそも無理やり絵画史・美術史に位置付けるほどの傑出した画家なのかという疑念は払拭できていません。
これは好き嫌いを超えた、しろうとの抱く疑問なので、どなたかご存じの向きはご教示いただければ幸いです。
前項は、ロートレック展のあらましについて書きました。
しかしながら個人的にはこの画家について根本的な疑問がついて離れません。
つまり、どうしてロートレックが偉い画家とされているのか、彼の良さとは何なのか、ということが正直よくわからないのです。
それと関連しますが、西洋美術史のなかにどのように位置づけられるのかも、今一つピンときません。
彼は「ポスター芸術の第一人者」だといわれます。
しかし、ポスターという分野はそれほどまでに重要だというなら、ではなぜ、ロートレック以前や以後にもいるであろうポスターの作り手の名前が、美術史にほとんど登場してこないのでしょう。
ポスターの作家としてはカッサンドルやカピエッロらが挙げられるのですが、ロートレックにくらべると言及されることが極端に少なすぎます。
実はロートレックは、ふつうのタブロー(油彩)でもさまざまな作品を描いています。
筆者は油彩をポスターよりも、前提なしで上位に置くような間抜けではないつもりですが、油彩を考慮に入れないと、ロートレックを、印象派→後期印象派/新印象派→ナビ派→キュビスム/フォービズム…という近代フランス絵画史の中に位置付けることがうまくできません。
彼が美術史の流れからまったく孤立した存在であるはずもないのですが、いまはどうも、19世紀後半のフランス美術の中に当てはめられていないという感じが否めないのです。
いや、美術史以前の話で、ロートレックの絵って、美しいですか?
スーラやモネやゴッホの絵は、美術史について知識がなくても、なんだか魅力的じゃないですか。
しかしロートレックが描く舞台俳優は、筆者の目にはぜんぜん美男美女に見えません。
ある女優が「もっと美しく描いてほしい」と訴えたのもわかるような気がします。
線の美しさという点でみても、今回はかなりの分量の素描が出ていたのですが、例えばビアズリーなどに比べてどれだけすごいのか、筆者にはわかりかねました。
もう一つ、気になることがあります。
なんといっても19世紀から20世紀にかけてのパリは「世界の首都」(ベンヤミン)であり、さまざまな作家や美術家、音楽家、批評家などの名前が日本にも伝わってきています。ある作家や美術家の略伝を追うと、関係者の名前が次から次へと出てきて、そのつながりを追うのも、鑑賞のひそかな楽しみであるといえます。
ユゴーがバルザックの死の床に駆けつけたり、詩人ランボーがヴェルレーヌと一時期同居していたり、同時代の芸術家の肖像を撮りまくった写真家ナダールのアトリエが印象派展の会場だったり、ドイツの詩人リルケが彫刻家ロダンの助手だか秘書だかを一時務めたり、ゾラとセザンヌが旧友だったり、この手の話はキリがないのですが、ロートレックの場合、そういう話が驚くほど少ないんですよ。
伝記にはいろいろな人物の名が登場するのですが、よく知られた人物が少ない。舞台関係者の名はあまり筆者が知らないというのもあるかもしれませんが、今回の展示でいえば、サラ・ベルナールぐらいでしょうか。
有名な音楽家や批評家、画家仲間がまるで出てこない。交友関係の想像がしにくいのです。これは不思議です。
画像は、珍しい有名人である作家ルナールの『博物誌』にロートレックが挿絵をつけた本です。
以上の件については、有名ブロガーである「青い日記帳」さんのインタビュー記事( https://lovewalker.jp/elem/000/004/216/4216389/ )を読み、疑問が氷解したところもいくらかあります。
とはいえ、上記の文章を読み、展示を見たあとでも、近代絵画史に位置付けにくい画家であるという印象は変わりませんし、そもそも無理やり絵画史・美術史に位置付けるほどの傑出した画家なのかという疑念は払拭できていません。
これは好き嫌いを超えた、しろうとの抱く疑問なので、どなたかご存じの向きはご教示いただければ幸いです。