北海道美術ネット別館

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2014年3月30日は11カ所。続き

2014年03月31日 01時31分31秒 | つれづれ日録
(承前)

 札幌到着後は…

 三越 → スカイホール → さいとうギャラリー → HOKUSEN GALLERY ivory → アートスペース201 → 札幌市民ギャラリー → ポルトギャラリー → モリヒコプランテーション → 新さっぽろギャラリー

 三越はピカソなどの版画展。エッチング、リトグラフなどすべて版画で、油彩や水彩は1枚もなし。そのかわり、作者はピカソが過半数で、ほかにマティス、ミロ、ユトリロ、シャガールなどで、「三越は巨匠といっているが、誰なのこれ?」という人はひとりもいない。
 不勉強な筆者はピカソが古代ギリシャ喜劇をテーマにした連作や博物図鑑の挿絵を描いているとは知らなかった。とにかく仕事の種類と量の多い人なのだ。それにしても、線のスムーズさには驚いてしまう。

 ivoryの「遡上展」は、道内外の大学で美術を学ぶ学生10人のグループ展。絵画と版画。
 後藤美月さんの版画にセンスを感じる。

 アートスペース201は、5部屋すべてが使われ、四つの展覧会が開かれている。そのうち三つが写真展。
 唯一の絵画展「フラットな関係」は、おといねっぷ美術工芸高の同級生でいまは大谷大と道都大に通う学生の2人展。マンガ的な、平面的な絵画である。
 奥の壁にあった「変わる関係」は、2人の合作で、未来(といっても60年代の未来像みたいにベタ)を青基調、過去(60年代かな)を赤基調で描いている。
 過去の、詰襟の男の子が走っている背後に「アタリヤ」という看板があるのは、未来の絵に描かれている女の子と、この後ぶつかるということの暗示だという。
「あ、だったら、どっちかが食パンくわえてたらカンペキでしたね!」
「そうですね~」

 そのとなりで開かれていた「中山浩樹写真教室作品展」が良かったのだ。
 大木のある秋の公園で母親が幼な子の上着のボタンをとめようとする「もう帰ろうね」、庭の向こうに大きな虹がかかる「休日」、江ノ電の駅票の向こうに夕日が沈む情景を、絞りを絞ってとらえた「大好き」、白いバラが咲く情景と女性の顔の2枚を組み合わせた「edge」、すばる(プレアデス星団)など冬の星を透かして光るオーロラを撮った「背中を押す光」など、題もふくめ、見ていて心がほっとする写真が多いのだ。
 モノクロフィルムの手焼きや、カラーポジフィルムとおぼしき作品もあり、バラエティーに富んでいる。
 いずれも4月1日まで。

 画像は、ナナカマドの実が、解けた雪山の下から大量に顔を出した南1条通の歩道。

 市民ギャラリーは2階で「EX12th」。
 札幌圏の10大学の11の写真部(北海学園大はI部とII部は別に写真部があるため)の合同写真展で、ものすごいボリューム。内容は玉石混淆で、動物園の写真が多いのが気になったとはいえ、人間に切り込んだモノクロ作品などもあり、楽しめた。30日まで。

 「バスセンター前」から地下鉄東西線に乗って、西18丁目で降車。ギャラリーポルトの「自己紹介展」。
 北翔大の学生の呼びかけによる、大学横断的な試み。22人が出品。
 最終日のこの日は、大井敏恭、林亨、末次弘明の教員3氏が、自らの若い時代の苦労などについて語るトークなどもあった。筆者は途中で退席し、ふたたび東西線で菊水へ。

 新さっぽろギャラリーでは「ZETTON」という、在日コリアンの若手によるグループ展。
 8人が絵画、イラストを出していたが、鄭梨愛さんの絵が群を抜いていた。
 「せみ」は、白っぽい地の上に、セミの屍骸を九つ並べただけの絵だが、羽が朽ち、脚がもげたその姿からは、無常観が漂う。
 「傍」は、仰向けの横たわる若い女性の手前にセミの屍骸を配した、これまたシンプルな絵だが、スーパーリアルな筆致から、やはり生命とは何かを問う作者の静かな意思が伝わってくるようだ。
 31日まで。

 デュオII地下の珈否茶館でダッチコーヒーのホットを飲み、豆を買う。

 大谷地からバスに乗って帰宅。
 バスの中でブログのテキストを書くつもりだったが、バスはシートのピッチが狭すぎて、パソコンのふたをあけて作業することができないのだった。これまで知らなかった。


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