(承前)
筆者が「落石計画」の会場を訪れた翌日にはギャラリートークが行われた。
北海道新聞8月9日付根室版に、興味深い記事が載っていたので、引用する。
あと、筆者が現地を訪れたときは曇りで、しだいに青空が広がって、暑いくらいの陽気だった。
作家の方が「ここに来てから、こんなに良い天気は初めて」と驚いていた。
北海道の太平洋沿岸は、春から夏にかけては海霧のかかる日が多く、気温も20度前後までしか上がらないことが通例であるからだ。
めずらしい「落石計画の夏」を記念して、画像をアップしておいた。
筆者が「落石計画」の会場を訪れた翌日にはギャラリートークが行われた。
北海道新聞8月9日付根室版に、興味深い記事が載っていたので、引用する。
池田さんは1985年に母親を亡くした「喪失感」が、廃虚となっていた無線局跡を取得して新たな芸術活動を始めるきっかけになったことを紹介。同計画の主宰者の1人である武蔵野美術大教授の高浜利也さん(45)は25年前に恩師の池田さんに連れられて無線局跡の屋根の補修に来たことを振り返りながら、「思いがあればどこでも、何とでもできるとの手がかりを落石で得られた」と語った。
もう1人の主宰者、愛知県立芸大准教授の井手創太郎さん(45)は、生まれ故郷の長野県佐久市から見える浅間山をテーマにした銅版画を展示し、「池田さんが生まれた場所にこだわるように、自分も個人的な所在を考えるようになった」と落石で活動することの意味を伝えた。
あと、筆者が現地を訪れたときは曇りで、しだいに青空が広がって、暑いくらいの陽気だった。
作家の方が「ここに来てから、こんなに良い天気は初めて」と驚いていた。
北海道の太平洋沿岸は、春から夏にかけては海霧のかかる日が多く、気温も20度前後までしか上がらないことが通例であるからだ。
めずらしい「落石計画の夏」を記念して、画像をアップしておいた。
(この項続く)
今回の旅と、台風のさなかの帯広行きで、自分が晴れ男であることを確信いたしました!