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浮世絵に見る「いき」-高橋博信の眼(1月28日まで) (3)

2007年01月12日 21時45分24秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
「美艶仙女香」の宣伝と目白不動

 昨年の「浮世絵美人画の魅力」の展覧会場でくばられていた解説にも載っていたが、このおしろい「美艶仙女香」の宣伝広告が、今回の出品作にも登場している。ずいぶん商売熱心な化粧品屋だったのだなあ。
 画像は、溪斎英泉「よしはらやうじ廓の四季志 二月 大神楽 尾張屋内長尾」。
 燈火のちかくで、ひじをついて、思案げな表情で文を読む女の近くの床に、「美艶仙女香」の包みが置かれている。

 ほかに、英泉「御利生結ぶの縁日 毘沙門天」には、女の手にしたうちわに
「山桃も粧ふ花や仙女香」
などと、和歌によるキャッチコピーが書かれている。

 また、 国貞「(不動尊揃)目白不動尊」は、かんざしをくわえて髪を調える美人の図。床には黒い鏡が置かれ、その横に「美艶仙女香」の包みが置かれている。
 化粧という絵の題材とマッチした宣伝だ。
 包みは、英泉「吉原八景 瀬田之夕照 丸海老屋内江川」にも描かれている。

 今回出品の77点中4点に美艶仙女香がとりあげられていることになる。

 ところで、目白不動尊は、関口駒井町(現文京区関口2丁目2)にあったということだが、いまの地図を見てもそれらしき記載がない。
 どうしたものかとネットで検索してみたら、すぐにわかった。戦災で焼けて、豊島区高田2丁目の、高南小入り口交叉点附近の金乗院に合併していたのだ。
 関口駒井町のあたりは、目白坂(目白通の旧道)が、神田川から椿山荘(ちんざんそう)のある高台へとゆっくり上がっていくところ。山手線の目白駅からはあるいて30分ほどかかるが、もともとこのへんが「目白」の名の由来である。
 筆者の記憶では、講談社の社長の邸宅などもあり、風情のある一帯であったが、いまはどうなっているやら。
 「江戸名所図会」にいわく
この地、麓には堰口の流れを帯び、水流淙々(そうそう)として日夜に絶えず、早稲田の村落、高田の森林を望み風光の地なり。境内貸食亭(りょうりや)多く、何れも崖に臨めり。

 話がそれてしまった。

 目白不動の沿革などについては、検索するとたくさん出てくるので、ここでは省略。

□以前、目白不動尊のあった附近の地図(永泉寺のすぐ南)
□金乗院の地図

12月13日(水)-2007年1月28日(日)
道立近代美術館(中央区北1西17 地図D
これくしょん・ぎゃらりぃの2階から入れば無料です。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
川上さん、ありがとうございます (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2007-01-13 05:41:37
 たしかに、栄泉寺の真南というより、もうちょい西だったみたいですね。
 けっこう大きな不動様だったようです。
 このほか、目黒、目赤などの不動もあるんですね。
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うまくいくかな? (川上@個展deスカイ)
2007-01-13 01:57:39
http://kokomail.mapfan.com/receivew.cgi?MAP=E139.43.56.0N35.42.27.0&ZM=12&CI=R
返信する
目白不動 (川上@個展deスカイ)
2007-01-13 01:38:01
人文社刊行の江戸東京散歩の中の切り絵図によると、目白不動は永泉寺向井のあたり、むしろ養告示國寺向い(南側)から八幡宮向いにかけて広大な敷地であったようです。
江戸鎮護の目的で安置された五色不動の一つと言うことです。
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