・「美艶仙女香」の宣伝と目白不動
昨年の「浮世絵美人画の魅力」の展覧会場でくばられていた解説にも載っていたが、このおしろい「美艶仙女香」の宣伝広告が、今回の出品作にも登場している。ずいぶん商売熱心な化粧品屋だったのだなあ。
画像は、溪斎英泉「よしはらやうじ廓の四季志 二月 大神楽 尾張屋内長尾」。
燈火のちかくで、ひじをついて、思案げな表情で文を読む女の近くの床に、「美艶仙女香」の包みが置かれている。
ほかに、英泉「御利生結ぶの縁日 毘沙門天」には、女の手にしたうちわに
「山桃も粧ふ花や仙女香」
などと、和歌によるキャッチコピーが書かれている。
また、 国貞「(不動尊揃)目白不動尊」は、かんざしをくわえて髪を調える美人の図。床には黒い鏡が置かれ、その横に「美艶仙女香」の包みが置かれている。
化粧という絵の題材とマッチした宣伝だ。
包みは、英泉「吉原八景 瀬田之夕照 丸海老屋内江川」にも描かれている。
今回出品の77点中4点に美艶仙女香がとりあげられていることになる。
ところで、目白不動尊は、関口駒井町(現文京区関口2丁目2)にあったということだが、いまの地図を見てもそれらしき記載がない。
どうしたものかとネットで検索してみたら、すぐにわかった。戦災で焼けて、豊島区高田2丁目の、高南小入り口交叉点附近の金乗院に合併していたのだ。
関口駒井町のあたりは、目白坂(目白通の旧道)が、神田川から椿山荘(ちんざんそう)のある高台へとゆっくり上がっていくところ。山手線の目白駅からはあるいて30分ほどかかるが、もともとこのへんが「目白」の名の由来である。
筆者の記憶では、講談社の社長の邸宅などもあり、風情のある一帯であったが、いまはどうなっているやら。
「江戸名所図会」にいわく
話がそれてしまった。
目白不動の沿革などについては、検索するとたくさん出てくるので、ここでは省略。
□以前、目白不動尊のあった附近の地図(永泉寺のすぐ南)
□金乗院の地図
12月13日(水)-2007年1月28日(日)
道立近代美術館(中央区北1西17 地図D)
これくしょん・ぎゃらりぃの2階から入れば無料です。
昨年の「浮世絵美人画の魅力」の展覧会場でくばられていた解説にも載っていたが、このおしろい「美艶仙女香」の宣伝広告が、今回の出品作にも登場している。ずいぶん商売熱心な化粧品屋だったのだなあ。
画像は、溪斎英泉「よしはらやうじ廓の四季志 二月 大神楽 尾張屋内長尾」。
燈火のちかくで、ひじをついて、思案げな表情で文を読む女の近くの床に、「美艶仙女香」の包みが置かれている。
ほかに、英泉「御利生結ぶの縁日 毘沙門天」には、女の手にしたうちわに
「山桃も粧ふ花や仙女香」
などと、和歌によるキャッチコピーが書かれている。
また、 国貞「(不動尊揃)目白不動尊」は、かんざしをくわえて髪を調える美人の図。床には黒い鏡が置かれ、その横に「美艶仙女香」の包みが置かれている。
化粧という絵の題材とマッチした宣伝だ。
包みは、英泉「吉原八景 瀬田之夕照 丸海老屋内江川」にも描かれている。
今回出品の77点中4点に美艶仙女香がとりあげられていることになる。
ところで、目白不動尊は、関口駒井町(現文京区関口2丁目2)にあったということだが、いまの地図を見てもそれらしき記載がない。
どうしたものかとネットで検索してみたら、すぐにわかった。戦災で焼けて、豊島区高田2丁目の、高南小入り口交叉点附近の金乗院に合併していたのだ。
関口駒井町のあたりは、目白坂(目白通の旧道)が、神田川から椿山荘(ちんざんそう)のある高台へとゆっくり上がっていくところ。山手線の目白駅からはあるいて30分ほどかかるが、もともとこのへんが「目白」の名の由来である。
筆者の記憶では、講談社の社長の邸宅などもあり、風情のある一帯であったが、いまはどうなっているやら。
「江戸名所図会」にいわく
この地、麓には堰口の流れを帯び、水流淙々(そうそう)として日夜に絶えず、早稲田の村落、高田の森林を望み風光の地なり。境内貸食亭(りょうりや)多く、何れも崖に臨めり。
話がそれてしまった。
目白不動の沿革などについては、検索するとたくさん出てくるので、ここでは省略。
□以前、目白不動尊のあった附近の地図(永泉寺のすぐ南)
□金乗院の地図
12月13日(水)-2007年1月28日(日)
道立近代美術館(中央区北1西17 地図D)
これくしょん・ぎゃらりぃの2階から入れば無料です。
けっこう大きな不動様だったようです。
このほか、目黒、目赤などの不動もあるんですね。
江戸鎮護の目的で安置された五色不動の一つと言うことです。