(承前)
昨年は5度の個展をこなし、いま道内で最も精力的に制作・発表に取り組んでいる画家のモリケンイチさん(札幌)。
ことし最初の個展は、若者など幅広い層に人気のカフェ、ファビュラス。
その壁面に、ブラックユーモアと諷刺のきいた人物画を、平面インスタレーションふうにびっしりと陳列しています。
モリさんの作品は、幾通りもの解釈を容認するため、語り始めるといつまでも終わらないということになりかねません。
今回は
・題名
・その英訳
・画面にかきこまれた英語やフランス語
にそれぞれ異同があり、それを指摘し論じるだけでたいへんな長文になってしまいそうです。
昨年暮れの個展の紹介などでも、結果的にかなりの長文になってしまったので、できるだけ的を絞って手短にまとめたいと思います。
冒頭画像。
左端は、上の青い絵が「変態な身体」。
(※絵の題は「従順な身体」が正しいです。訂正します。モリさん、すみませんでした)
絵には「You are me」とかき込まれています。
下の黄色の絵は「欲望の奴隷」。絵のなかのことばは「Slave of desire」。
「変態な身体」は、右側の裸の女性が、石ノ森章太郎の子ども向け特撮番組に登場する悪役ロボット「ハカイダー」のように頭頂部が透明になっていて、脳が見える仕組みになっています。
胸に描かれた「D-2」というのは何を意味しているのでしょうか。
左から2列目。
腕が蛇のように何本もからみついている作品は「モラトリアムちゃん」。
画中のことばは「Viva moratorium life」。
下の黄色は「蛙の子は?」。
画中には「Become like father?」とあります。
オレンジ色のソファに腰掛ける男と、台所の前に立つ女は、カエルの頭部を有していますが、男の左にすわる少女だけは人間の姿形をしています。
その右の、頭部が電球の形をした人間が少女を抱きしめている様子を描いた小品は「欲望機械」。
絵の中には「desire gimmick」とかかれています。
「欲望機械」というと、フェリックス&ガダリの「アンチ・オイディプス」が思い出されますが、ここでは機械は「マシン」ではなく「ギミック」と訳されています。
次の列、赤い箱に少女が入っている絵は「自由の牢獄」。
画中には「comfortable prison」とあります。
これまた、ニーチェやフーコー、フロムを持ち出すまでもなく、あえて自由を捨てて束縛の中に入り込む現代人を鋭く皮肉っていると言えそうです。
その下、帽子とともに脳が離れている男を描いた絵は「他人の顔」。
絵のなかには「connoissance = pouvoir」。
16~17世紀のイングランドの哲学者、フランシス・ベーコンの「知は力なり」という言葉は、誰でも聞いたことがあると思います。それを、あえてフランス語で書くところが、モリさんのひねったところだと思います。
黄緑の絵は「蜜な愛」。
画中にある言葉は「Loving my sweet honey」。
恋人と蜂蜜をかけています。
女の子2人の絵は今回の最大の作品で「ウロボロス」。
自分の尾をくわえた竜の意味です。
この絵では女の子がお互いの腕をくわえています。
絵のなかに書き入れられた文言は「Always together」。
最近のいいまわしだと「ズッ友だよ」という感じでしょうか。
青い背景で、ワニが3頭、テーブルを囲んでいるのは「円卓会議」。
画中には「Distribution conference」とあります。
ディストリビューションは「物流」の意です。
その下のピンク色の絵は「やつし」。
絵の中には「Intellectual popularization」とあるようでしたが、ちょっと自信ありません。
テレビのワイドショーに出てくるデヴィ夫人のような女性がカマキリの格好をしている絵は「愛のコリーダ」。
こちらも、絵の中の「Woman eats …」の後段が読み取れません。
その下のマトリョーシカのような絵は「力への意志」。
絵に記された英文は「Will to power」で、これは珍しく、題との意味の違いがほとんどない例。
こういう題のニーチェの本がありますが、オリジナルの著作ではなく、妹のエリザベートがニーチェの遺稿をまとめて刊行した書物です。
いちばん大きな人物が攻撃性をむき出しにしている絵柄は、解釈がわかれそうです。
その横の、藍色の背景の絵は「Blue」。
チョウのかたわらには「Love is gone」とあります。
これまで紹介してきた絵の、向かい側にある柱に掛かっている作品で「犬の生活」。
絵のなかのことばは、画像が大きいので読み取れると思いますが、「Freedom of choice」です。
この絵は、ショックでした。
皮相な見方かもしれませんが、給料は十分だけど自由のない労働者と、食事の保証はないが自由に生きるフリーランスとの対比のようにも感じられました。
市場経済のなかで私たちは、生き方の選択を迫られているのです。
ところで、題の下には「Selection of Freedom」と英語題が附されています。
直訳にはなっていません。
これまで筆者は書き記してこなかったのですが、それぞれの作品にも、画中の欧文とは別の題がついているのです。
ただ、文字が小さくて、読み取れなかったので、省略してきました。
絵のイメージと、題と、欧文題と、画中の文字―。この四つの間に生じる「ズレ」が、わたしたちの鑑賞という行為を、多義的なものにしていることは、言うまでもありません。
モリケンイチさんの作品が、へたな現代アートよりもはるかにポリフォニックな残響を会場で感じさせているのは、こういう仕掛けに要因の一つがあるのでしょう。
ともあれ、「愛と欲望の資本主義」というのは、東京あたりならキュレーターがグループ展を組織しそうなテーマですが、札幌ではそもそもそういう問題意識を持ったキュレーターもアーティストも少ないことは否定できません。モリさんの孤軍奮闘ともいえる活動には、すなおに敬意を表したいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
感謝の意をこめて、長文をしまいまで読んでくださった方だけにお教えしましょう。ファビュラスは、いつ行っても混雑しており、ゆっくり絵の鑑賞がしにくいのが残念だと思いますが、土日の朝イチ(午前8時台)は比較的すいています。ここでモーニングセットを食べて、休日をスタートさせるのは、悪くないのではないでしょうか。
2018年4月1日~30日(月)午前8時~午後11時(ラストオーダー10時半)
カフェ FAbULOUS(札幌市中央区南1東2)
□ http://www.mori-kenichi.com/
■モリケンイチ個展「イヴの林檎」 (2017)
大丸藤井セントラルの入り口に飾られたモリケンイチさんデザインによるディスプレイ
■モリケンイチ個展 女王蜂の夜 (2017年11月)
■モリケンイチ個展 トワ・エ・モワ(アナタとワタシ/アナタはワタシ) =2017年4月
■モリケンイチ個展「真夜中のサーカス」 (2017年2月)
昨年は5度の個展をこなし、いま道内で最も精力的に制作・発表に取り組んでいる画家のモリケンイチさん(札幌)。
ことし最初の個展は、若者など幅広い層に人気のカフェ、ファビュラス。
その壁面に、ブラックユーモアと諷刺のきいた人物画を、平面インスタレーションふうにびっしりと陳列しています。
モリさんの作品は、幾通りもの解釈を容認するため、語り始めるといつまでも終わらないということになりかねません。
今回は
・題名
・その英訳
・画面にかきこまれた英語やフランス語
にそれぞれ異同があり、それを指摘し論じるだけでたいへんな長文になってしまいそうです。
昨年暮れの個展の紹介などでも、結果的にかなりの長文になってしまったので、できるだけ的を絞って手短にまとめたいと思います。
冒頭画像。
左端は、上の青い絵が
(※絵の題は「従順な身体」が正しいです。訂正します。モリさん、すみませんでした)
絵には「You are me」とかき込まれています。
下の黄色の絵は「欲望の奴隷」。絵のなかのことばは「Slave of desire」。
「変態な身体」は、右側の裸の女性が、石ノ森章太郎の子ども向け特撮番組に登場する悪役ロボット「ハカイダー」のように頭頂部が透明になっていて、脳が見える仕組みになっています。
胸に描かれた「D-2」というのは何を意味しているのでしょうか。
左から2列目。
腕が蛇のように何本もからみついている作品は「モラトリアムちゃん」。
画中のことばは「Viva moratorium life」。
下の黄色は「蛙の子は?」。
画中には「Become like father?」とあります。
オレンジ色のソファに腰掛ける男と、台所の前に立つ女は、カエルの頭部を有していますが、男の左にすわる少女だけは人間の姿形をしています。
その右の、頭部が電球の形をした人間が少女を抱きしめている様子を描いた小品は「欲望機械」。
絵の中には「desire gimmick」とかかれています。
「欲望機械」というと、フェリックス&ガダリの「アンチ・オイディプス」が思い出されますが、ここでは機械は「マシン」ではなく「ギミック」と訳されています。
次の列、赤い箱に少女が入っている絵は「自由の牢獄」。
画中には「comfortable prison」とあります。
これまた、ニーチェやフーコー、フロムを持ち出すまでもなく、あえて自由を捨てて束縛の中に入り込む現代人を鋭く皮肉っていると言えそうです。
その下、帽子とともに脳が離れている男を描いた絵は「他人の顔」。
絵のなかには「connoissance = pouvoir」。
16~17世紀のイングランドの哲学者、フランシス・ベーコンの「知は力なり」という言葉は、誰でも聞いたことがあると思います。それを、あえてフランス語で書くところが、モリさんのひねったところだと思います。
黄緑の絵は「蜜な愛」。
画中にある言葉は「Loving my sweet honey」。
恋人と蜂蜜をかけています。
女の子2人の絵は今回の最大の作品で「ウロボロス」。
自分の尾をくわえた竜の意味です。
この絵では女の子がお互いの腕をくわえています。
絵のなかに書き入れられた文言は「Always together」。
最近のいいまわしだと「ズッ友だよ」という感じでしょうか。
青い背景で、ワニが3頭、テーブルを囲んでいるのは「円卓会議」。
画中には「Distribution conference」とあります。
ディストリビューションは「物流」の意です。
その下のピンク色の絵は「やつし」。
絵の中には「Intellectual popularization」とあるようでしたが、ちょっと自信ありません。
テレビのワイドショーに出てくるデヴィ夫人のような女性がカマキリの格好をしている絵は「愛のコリーダ」。
こちらも、絵の中の「Woman eats …」の後段が読み取れません。
その下のマトリョーシカのような絵は「力への意志」。
絵に記された英文は「Will to power」で、これは珍しく、題との意味の違いがほとんどない例。
こういう題のニーチェの本がありますが、オリジナルの著作ではなく、妹のエリザベートがニーチェの遺稿をまとめて刊行した書物です。
いちばん大きな人物が攻撃性をむき出しにしている絵柄は、解釈がわかれそうです。
その横の、藍色の背景の絵は「Blue」。
チョウのかたわらには「Love is gone」とあります。
これまで紹介してきた絵の、向かい側にある柱に掛かっている作品で「犬の生活」。
絵のなかのことばは、画像が大きいので読み取れると思いますが、「Freedom of choice」です。
この絵は、ショックでした。
皮相な見方かもしれませんが、給料は十分だけど自由のない労働者と、食事の保証はないが自由に生きるフリーランスとの対比のようにも感じられました。
市場経済のなかで私たちは、生き方の選択を迫られているのです。
ところで、題の下には「Selection of Freedom」と英語題が附されています。
直訳にはなっていません。
これまで筆者は書き記してこなかったのですが、それぞれの作品にも、画中の欧文とは別の題がついているのです。
ただ、文字が小さくて、読み取れなかったので、省略してきました。
絵のイメージと、題と、欧文題と、画中の文字―。この四つの間に生じる「ズレ」が、わたしたちの鑑賞という行為を、多義的なものにしていることは、言うまでもありません。
モリケンイチさんの作品が、へたな現代アートよりもはるかにポリフォニックな残響を会場で感じさせているのは、こういう仕掛けに要因の一つがあるのでしょう。
ともあれ、「愛と欲望の資本主義」というのは、東京あたりならキュレーターがグループ展を組織しそうなテーマですが、札幌ではそもそもそういう問題意識を持ったキュレーターもアーティストも少ないことは否定できません。モリさんの孤軍奮闘ともいえる活動には、すなおに敬意を表したいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
感謝の意をこめて、長文をしまいまで読んでくださった方だけにお教えしましょう。ファビュラスは、いつ行っても混雑しており、ゆっくり絵の鑑賞がしにくいのが残念だと思いますが、土日の朝イチ(午前8時台)は比較的すいています。ここでモーニングセットを食べて、休日をスタートさせるのは、悪くないのではないでしょうか。
2018年4月1日~30日(月)午前8時~午後11時(ラストオーダー10時半)
カフェ FAbULOUS(札幌市中央区南1東2)
□ http://www.mori-kenichi.com/
■モリケンイチ個展「イヴの林檎」 (2017)
大丸藤井セントラルの入り口に飾られたモリケンイチさんデザインによるディスプレイ
■モリケンイチ個展 女王蜂の夜 (2017年11月)
■モリケンイチ個展 トワ・エ・モワ(アナタとワタシ/アナタはワタシ) =2017年4月
■モリケンイチ個展「真夜中のサーカス」 (2017年2月)
(この項続く)