さてだ・・・、奥方が夜勤のためにお昼寝をしているので、その邪魔をしては悪いというので、肌寒い風の中を・・・午後からもお散歩だ・・・。文字通り・・「亭主元気で留守がいい・・」みたいなもんだ。
で、今日は・・・いつもとは違う道筋を歩いてみた・・・。小学生の頃に学校に通った道みたいなところを・・・。でも、幾分かは道路が変わっているみたいだった・・・。
これは・・・幼稚園だろうかね・・・。最近の建物とかにはうといものだけれど・・。するとねぇ・・・。ここから・・。
「せんじょうかめらまん・・・わたなべよういちぃぃ・・・」って、かわいい声が・・・。最近のお子はかしこいっていうか・・・すごいねぇ・・。この幼稚園の窓から・・・「せんじょう・・かめらまん・・・・」の大合唱が・・。私のデジイチが見えたんだ・・・。私も仕方なく・・・手を振ったけれど、それで良かったのかしらん。今夜のニュースに・・「幼稚園にカメラを持った不審者現れる・・」とかなんとか・・・。最近は難しい時代になったもんだ・・。
そこから・・・北上して・・・小学校を過ぎ、旧の商店街を歩いて・・(これはまた別途機会があれば)、ここに行ってみた・・・。
“地元密着”を謳っていながらブログ六年目にして初めて行ってきました・・・。いうとらん・いうとらん・・。地元密着なんて謳ったことはないこのブログ・・・。なんでもありのなんでもなし・・・。ありのママならばったがパパよ・・・。
この山は何かというと・・・。
という・・・特別クラスの史跡の大古墳らしい・・。らしい・・て、うちの町にある有名なものなんだけれど。でも、小学校・中学校を通じて、ここに見学に行ったとか勉強に行ったとか、発掘に行ったとかということは一度もないし、説明を受けたこともない・・・。誰が埋葬されているのかも知らないし、いつごろに作られたのかも知らない・・・。
こういう山だからね・・。私が中学生の頃、この頂上にお墓があるのかと思って登ったんだけれど、小さな神社があるばかりで何もなかった・・・。ないはずだ・・。これ全体がお墓なのだって・・・。俗に言う・・「前方後円墳」、手前が四角い「方墳」で、奥側が「円墳」・・・昔の「鍵穴」みたいな形になっている・・。
南側から見たお墓・・・。森になっているのが後円部。平らになっているのが全方部。ここに見える茶色の屋根の民家・・・。今は廃屋になっているが・・・。
こういう建物だった・・・。昭和初期の標準的な農家の建物・・・。手前中央に増設された便所がわかる。向こう側の入り口を入ると土間。そして部屋は二間。
裏側に回ると・・・手前中央に増設された「釜屋:台所」と、張り出した「風呂場」が見てとれる・・。こうした史跡の中に残されているのには何かしらの事情があるのかね。周囲の田んぼは耕作放棄地みたいになっているし・・。
これが平面図。県道が・・・古墳の一部をえぐり取って通過している。当時は・・・古墳だとは考えてもみなかったんだろうね。あまりにも大きすぎたから・・・。だから、民家も数軒が建っていたし、水田とか畑とかも開墾されていた様子・・。
で、この古墳の途中にあるのが、この「西岡弥勒庵:にしのおか・みろくあん」。この中央にある割れたような石仏が「みろくぼさつ」で、この前にあった・・・「弥勒通り池」から見つかった石仏なんだそうだ。このことから、このあたりを・・「みろく」といい、「みろく池」とか「みろく自然公園」とか「ゆーとぴあ・みろく」とかと言うのだそうだ・・・。
今日は少しばかりひまだったもので、二部構成になってしまった・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。