まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

曼珠沙華 女心を 斜め読み

2012年09月19日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 今朝はすっきりと晴れて秋らしい朝の空になった・・・。今日は「彼岸の入り」なんですと・・。

 

 久々の晴れた気持ちのいい朝だなぁと思ったが・・・。

 

 三台のパソコンで一斉に「チェックディスク」が始まった・・・。これでは何もできないではないか・・・。IBMマシンが早くに作業を終わったので、こちらからブログのチェックをするが、古いマシンだから動作が遅い。デスクトップもようやくに終わったので、二台であれこれとチェックをしていく・・。メールも飛び込んで来る。最近は朝には260通ほどが届く。FaceBookからのものが圧倒的に多い・・・。

 

 迷犬ごんの散歩をさせても、ノートパソコンはまだ・・作業をやっている。5時半から始めて・・・8時前にようやく終わった。このPCでないとテレビが見られない。「梅ちゃん先生」を見ながら、出発の準備。今日は丸亀市のさらに西にある「多度津町」に行く予定。

 

 その途中にあった「サヌキのピッピ」という変わった名前のうどん屋さんに寄った。丸亀市綾歌町栗熊西という場所にある。あの「レオマ・ワールド」の少し西にある。「ピッピ」というのは讃岐の幼児語で「おうどん」のこと。

 

 まだ九時半過ぎだから朝うどんと言うことになる。かけうどん(160)に、チクワの天ぷら(100)で260円。ここは・・・かけダシもかけてくれるし、「おネギとおショウガ、入れてもいいですかぁ」とおばちゃんが入れてくれる。お客に任せると盛り上げるようにネギを入れるからかな・・・。

 

 道路が新しくなっていて、あちらこちらの路地や田んぼに入って焦ったけれど、どうにか約束の10時半前には、「多度津町立資料館」に到着した・・・。思わず、安堵。

 

 昨日も書いたけれど、こういうイベントがあるので、「古川昭八」の写真がほしいと館長さんがおっしゃるのでやってきたもの。今から150年も前の方だから、写真も資料も讃岐にはない。東京の旧宅に行けばあるのだろうが、そこまでもは追跡できない。そこで、私の持っている、この写真がほしいというわけだ。

 

 これは、しわく広島の山口さんちにあったもので、中央が「古川庄八」さん、左がその養子の古川阪次郎さん、右側が同じく養子の忠治郎さん。前列の子供が阪次郎の息子の達四郎さん・・。

 

 まだ、展示準備中の「山下岩吉」さんの遺品の数々・・・。ここは地元だけあって、刀やら辞令書やら多くの資料が残されている。

 

 多度津というところは、丸亀藩の分家というか事ある場合に備えての支藩「多度津藩」があった場所。今でもこうした武家屋敷などが残る町。

 

 13時半のフェリーでしわく広島に入る・・・。今日の目的は、マイボートのエンジンの仕様書番号を調べること。型式番号がわからなければ部品も修理方法もわからない・・・。

 

 型式番号は「VOLVO PENTA TAMD22」というディーゼルエンジン。エンジンの外観には異常がないが・・・。

 

 80馬力というから普通トラックのエンジン並だろうか・・・。特に破裂したとか裂けたたという箇所は見えない。

 

 今日は満潮なんだろうか、各所に「高波防止用」の柵が閉められている。島は厳戒態勢になっている・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「一番大切な自分 他人もそう思っている」 そう思っているから争いにもなるし、けんかにもなる。いじめにあっている中学生よりも自分が大切な校長先生もいるし、国の幸せよりも自分の幸せが大切だと思っている国会議員さんもいる。それだから、みんな仲良くしなければ・・・というよりも、自分が大切なんだと思ってしまうのも自分・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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